カテゴリ:外国史
19世紀のアメリカ(99)
第4章 大陸横断鉄道と大草原の開発…5 牛の輸送業務は、水と牧草が確保しやすい、春秋に限られていました。業務のない時期にカウボーイたちは何をしていたのでしょう。 カウボーイのボスや幹部は、自分達の根拠地となる牧場を持っていました。そこには牧場主の自宅、カウボーイたちの宿舎、それに自分達の牛や馬のための牧草地が必要でした。 ロングドライヴのためには、より大きく広い草地が必要でした。1880年代に入ると、黒人差別を温存した形での南部経済の回復も、ようやく軌道に乗ってきました。こうした景気回復を通じて、牛肉の需要は急増し、牛丸1頭が50ドルを越える高値をつけるようになり、5千ドルの投資が、僅か4年で、4万5千ドルを越えるという、大きな利益を生んだのです。 こうした状況が、俄か牧畜業者の乱立が、牛の衛生管理の不徹底を招き、牛の伝染病の蔓延を招き、牧畜王国は崩壊を招きました。この結果、以後は大規模な牧場経営は敬遠され、所有する牛の健康状態に、十分な目配りが可能な規模の小規模な経営が主流となり、カウボーイ野時代も終わりを告げたのでした。 ところで、ロングドライヴの始まった1860年代の前半、南北戦争の最中に、大陸横断鉄道の建設を求める声が、急に大きくなったのです。それは、東部、そして中西部における鉄道建設の広がりが、物資と人の輸送における鉄道の優位性を、人々に印象付けた結果でした。 西部開拓の促進にも、鉄道建設が役立つことは間違いない。こうした確信が、鉄道建設を強力に後押ししたことも、間違いのない事実でした。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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