カテゴリ:日本経済
クロニクル 長銀,リップルウッドへ
1999年(平成11)年9月28日 18年前のこの日、金融再生委員会は、前年(1998年)10月に一時国有化した日本長期信用銀行(略称長銀)を、米国の投資ファンド、リップルウッドに譲渡することを、正式に決定しました。 リップルウッドは翌年6月、新たに新生銀行と命名して営業を再開、同行を再生した上で株式を公開、保有株の値上りで利益を得ると言う企業再生の手法をとり、新生銀行は2004(平成15)年2月に株式公開に漕ぎつけるなど、短期間で再生を遂げました。 長銀は、バブル期の過大な不動産融資のツケで経営が傾き、債務超過が疑われる状況に陥ってしまったのですが、98年7月30日に誕生した小渕内閣の下で、大蔵省は住友信託銀行に長銀の救済合併を依頼し、8月20日には、小渕首相と宮沢蔵相が2人揃って住信の頭取に直々の要請までしたのですが、長銀の不良債権の実態が明らかにされないままでの合併に、住信は最後までOKを出さず、この構想は日の目を見ませんでした。 そして、金融国会と称された与野党の攻防を経て、ようやく10月に入って金融再生法が成立。それから間もなく、長銀は自ら金融再生法に基づく一時国有化を申請、実質的に破綻しました。政府は申請を受けて、長銀の全株式を買い取り、公的資金で預金などを払い出すなどして、譲渡可能な姿とした上で、長銀株式の譲渡先を探したのですが、日本企業の応募はなく、僅か10億円という捨て値で、前述のリップルウッドが落札しました。 住信を始めとする日本の金融界は、自らも不良債権の処理に苦しみ,僅か10億円の出資にすら、手を上げることが出来なかったのです。その限りにおいて、私は、リップルウッドは日本の金融危機の救世主の役割を果たし、ノンリスクで(不良化しそうな債権には、瑕疵担保条項がつけられていました)利益を上げた、先の読める投資家集団であったと考えています。 逆に言うと、日本の金融機関はだらしがなさ過ぎました。バンカーの誇りはいったいどこにやってしまったのでしょうね。嘆かわしい限りでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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