カテゴリ:国際政治
原爆投下その後 その7
核実験禁止運動が世界規模で盛り上がった背景には、核実験によって放出された放射能が大気中や海中に拡散し、動植物の食物連鎖の中で凝縮され、人体と環境に悪影響を及ぼすことが明らかとされました。日本初の核実験禁止運動が世界的な広がりを見せた背景には、このような事実がありました。 こうした国際世論の盛り上がりは、米ソ両国にとっても無視できないものになりつつあり、こうした時期に起きたのが、1962年10月のキューバ危機でした。ソ連がキューバにミサイル基地を建設中であることが、米軍の偵察飛行による空撮で明らかになり、米国はキューバ近海を海上封鎖、核兵器を搭載した空軍機もいつでも出撃できる臨戦態勢をとりました。そうした中核ミサイルを積んだソ連の艦船が潜水艦の護衛の下で、フロリダ沖を通過、26日には、封鎖中の米艦船と対峙する形で停泊しました。 まさに、米ソの核戦争勃発が、最も近づいた瞬間でした。米国の国防長官だったマクナマラは、人生最後の人覚悟したと後に語っています。こうした緊迫したギリギリの交渉の結果、ソ連のフルシチョフは、米国がキューバに侵攻しないことを約束するなら、キューバのミサイル基地は撤去するとの妥協案を提示、この提案をケネディ大統領が飲んだ結果、地球の滅亡の危機は、辛うじて回避されたのです。 こうした危機回避の経験から、米ソ両首脳は英国も交えた交渉を通じ、核実験禁止の世論も踏まえ、翌63年8月14日、大気圏内並びに水中での核実験を禁止する、部分的核実験禁止条約(PTBT)を結んだのです。ただ60年に核開発に成功したフランスと、全力で核開発に取り組んでいた中国は、この条約に加盟せず、大気圏内の核実験を、この後も続けたのです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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