カテゴリ:国際政治
クロニクル 米空軍、アフガン空爆
2001(平成13)年10月7日 20年前のこの日、米国空軍はアフガニスタンを空爆。アフガニスタンに対する軍事行動を開始しました。 このアフガンに対する攻撃は、同年9月11日の、ニューヨークの世界貿易センタービル(通商ツインタワー)への攻撃などの「同時多発テロ」に対する報復でした。 9月15日にはブッシュ米大統領は、「同時多発テロ」をオサマ・ビン・ラーディンの組織したアル・カイーダの仕業と断定。アル・カイーダに基地を提供し、ビン・ラーディンを匿っているとして、アフガニスタンのタリバン政府を非難。ビン・ラーディンの引渡しと、アル・カイーダの追放をタリバン政府に要求。要求に応じない場合は、タリバン政府も仲間とみなして攻撃すると言明しました。 そして、この日、それを実行に移したのです。日本の明治政府は、江戸時代には奨励された仇討ちを禁じました。その論理は、仇討ちは、次ぎに仇を討たれた人物の身内に仇討ちの気を起こさせと、憎しみの連鎖を招き、決して幸せな未来を生み出さない。だから、仇討ちを禁じて法の裁きに委ねるべきだと、こういうことでした。法治国家の米国もまた、当然そうすべきでした。国際司法裁判所に提訴、場合によれば国際軍事法廷を開くことを要請して、入手した資料を提出して、判断を仰ぐべきでした。 それから20年、米国に頼ることと、賄賂をため込むことしかできなかった「アフガン政府」とアフガン軍部は、遂にソ連同様にアフガンの統治を諦めたアメリカが、撤退すると同時に、幹部が国外に脱出する不始末を演じて、国の統治をタリバンに丸投げしてしまったのです。何とも情けない話です。 イラクも含め、いったいこの責任を米国はどうとる積りなのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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