カテゴリ:日本史
クロニクル 熊沢天皇登場
1946(昭和21)年1月18日 焼け跡が各地に残る、敗戦後の混乱期のことです。敗戦の年が明けた1月1日には、天皇の人間宣言が、各紙の一面トップで大きく取り上げられ、天皇制の雰囲気がなお色濃い、日本国民を驚かせて間もない頃でした。 76年前のこの日、名古屋で雑貨商を営む熊沢寛道さんの、「自分は南朝の子孫で、南朝こそが日本の正統の皇位継承者である」とする主張が、新聞各紙で大きく取り上げられ、また国民を驚かせました。各紙は彼を熊沢天皇として紹介したのです。 彼は、前年11月にGHQに、自己の主張を記した嘆願書を出しており、それに眼をつけた米誌「ライフ」の記者が、彼にインタビューした記事が、「ライフ」に大きく取り上げられ、日本の各紙が「ライフ」に追随した結果が、この日の記事に繋がりました。 子供の頃の、小中学校での歴史の授業では、彼のことが語られましたが、戦中の授業では、南北朝の騒乱は、教科書からも抹殺されていましたから、国民は隠されていた天皇家の騒乱を、ここから学んだのですね。逆賊とされてきた足利尊氏の再評価も、この後のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日本史] カテゴリの最新記事
|
|