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白山菊理姫

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2011.04.20
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カテゴリ:歴史箱
昨日ブログをアップした後、その内容について、インスピレーションさんから再びサジェスチョンが来ました。昨日古代イスラエル王国の南北分断について書いたとき、偶像崇拝したから宗教から離れたという趣旨のことを書いたのですが、「偶像崇拝したら、どうして宗教から離れたと言えるの?」と指摘されたんですね。

インスピレーションさんは賢いですね。まさにその通りです。偶像崇拝をしていない宗教などないからです。キリスト教にしろ、ユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ、仏教にしろ、何らかの形で信者に偶像崇拝を強いているんですね。その「偶像」は形を変えながら、まさに増殖する菌のように宗教にはびこります。それらは、教会や寺社の権威であったり、聖典や経典であったり、聖像や仏像であったり、聖職者や教祖であったりしますが、私にはどこから見てもそれは「偶像」にしか見えません。

宗教が皆に偶像崇拝させることによって何が起こるかについても、私とインスピレーションさんの意見は一致します。偶像崇拝は、自分の外側に神を置くことになるんです。そうすることにより、本来なら自分の内にいるはずの神の存在を忘れてしまうという、変な現象が起きてしまうんですね。そうなると信者さんたちは、教祖様や「神」に対する依存を強めてしまいます。すべてを、悪霊の仕業や神の御業(みわざ)で説明するようになります。何か悪いことが起こると他人や異教徒のせいにして、良いことが起こるとそれを信仰や教祖様のお蔭であるとします。少なくともこうしたことが歴史的に何度も起こっていますね。

ところが自分の内側に神がいることを知っている人は、自分の外側に神を求めたりはしないし、宗教に依存したりもしなくなります。心の中に社(やしろ)を建てれば、そこに神が宿ることを知っているんですね。だから何か大きな災害が起きても、それを「神という他人」のせいにしたりはしないし、天罰だと思ったりもしません。神とは自分でもあるわけですから、その災害には、自分の中で何か意味があるのだなと考えるんですね。

「それが本来の古神道だったのではないの?」と、声は私に告げているようです。

自分の中に神がいる、すなわち自分=神・・・・・・・そのような「畏れ多いこと」を信じるわけにはいかないという人も多かったので、古代日本人(天空浮船族?)は多神教というものを考え付いたのだと、インスピレーションさんは指摘します。つまり自分の中に神がいるということは、すべての自然、すべての生命の中に神がいるということと同じであると考えるようにした、と言うんですね。それが古神道の本質であるわけです。

宿禰さんも、自然を征服するのではなく「自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術が本来の古神道であった」としていますから、何か相通じるものがありますね。

インスピレーションさんはこうも言います。すべての中に神がいることを知っていた人たちは日本人だけではない、と。古代イスラエルの民にもそのことを知っていた人たちがいたし、アボリジニやネイティブアメリカンの人たちの中にもいた、というんですね。「世界には自然に近い生き方をしている人たちがいるよね。彼らが今に残る五色人なんだよ」

まさかここで竹内文書に記されている「五色人」という言葉が出てくるとは思わなかったので、「なるほど、そういうことか」と思わず口に出してしまいました(笑)。

そう考えると、古神道を広めるために古代の日本から世界各地に五色人が散って行ったのだとする竹内文書的世界観も、説得力が出てきますね。

おそらく宿禰さんが言うように、メソポタミアで文明を開いたスメル族の人たちも、当初は自然と調和する理想の世界を築こうとしたのでしょう。ところがあまりにも厳しい自然であったため、一部の人たちは自然と調和するという古神道的精神を忘れてしまった。もはや自分の中に神がいることも信じられなくなったのでしょう。シュメールから分かれたアブラハムの子孫である古代イスラエルの民も、本来の神の道を忘れて偶像崇拝(宗教)をするようになった。そして、ついには滅んで、一部の人たちは「神の道」の故郷とされる日本に戻ってきたのだと解釈することもできますね。

キリスト(五十鈴彦)が日本にやって来た理由もそこにあったのかな、とも思えてきます。実際、キリストが中東の地で説いた教えは、「神の道」であったような気がしてならないんですね。ただし、その教えですら、今では「偶像」になってしまったわけです。

ずいぶん脱線しましたが、明日こそ再び本筋(出雲族と大和族)の話に戻りたいと思っています(笑)。
(続く)





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最終更新日  2011.04.21 00:52:37
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