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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史箱
昨日のブログではうっかり間違えて、アマテラスをイザナギの右目から生まれたかのよう書きましたが、左目の間違えでした。失礼しました。
実はこの右目と左目の問題は極めて重要で、私が知る限りこれまで誰も真剣に右目左目問題を取り上げてきませんでした。 取り上げようと思うに至ったきっかけは、いつものように第73世武内宿禰こと竹内睦泰氏でした。 彼はそれまで、日本から大陸に渡ったスメル族には海ルートの天(海)族と、陸ルートの「スサの王」のグループがいて、理想の国をつくることができなかったので、スメルの地(いわゆるメソポタミアのシュメール)から日本にそれぞれのルートで戻ったのだと話していました。ところが、2015年になって実は第三の草原のルートがあり、ツクヨミの一族が草原ルートで日本に戻ってきたのだと言い始めました。 それでピンと来たのが、アマテラス、ツクヨミ、スサノオが左目、右目、鼻から生まれたとする記紀の記述です。 すぐに分かったのは、ヒマラヤを鼻に見立てた陸ルート。見事に合致しますね。 しかも日本から見たら、左が海ルートで、右が草原ルートとなります。 これでは海の彼方からの視点がないではないかと思われるかもしれませんが、注目すべき『日本書紀』に左手で白銅鏡を持ったときにアマテラスが生まれ、右手に白銅鏡を持ったときにツクヨミが生まれたと書かれていることです。鏡は左右が逆になる呪具の象徴ですね。 加えて、スサノオは真後ろに振り返ったときに生まれたと『日本書紀』に書かれています。 なぜ後ろを振り向く必要があったのか。 つまり左右の視点を変えて読めと言っているように思えませんか。 都の左京と言ったら、東のことです。右京は西ですね。 地図上では左右が逆転します。 つまり下々の者から見た視点では、スメラミコトの日本への帰還ルートは、日本に戻って振り返ったスメラミコトの左目が東南アジアの海ルートとなり、右目がモンゴルの草原ルートになると言っていることになるわけです。 ほかにも記紀の国生み神話の中には、日本を見下ろす天(高天原)からの視点も存在します。 あえて離れて日本を見ようとしている視点があるんですね。 この視点を持って記紀を読むと、実はスメル族の「蛭子」がとった第四のルートがあったのではないかと思われてきます。海ルートの先遣隊だったのでしょうか。しかし帰還に失敗、「葦船あるいはイワクス船に乗せられて、流された」と記紀にあるのは、東南アジアのどこかの海で遭難してしまったことを意味しているのではないでしょうか。 このようにイザナギの右目左目問題だけでも、結構面白く記紀神話を読むことができるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.17 16:57:12
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