|
カテゴリ:幕末・あらかると☆
日本の国旗、日の丸。
昨今様々な物議を醸し出しているこの国旗は幕末の戊辰戦争では、幕軍の旗として使われていた。 ではこの日の丸、一体何者? 嘉永6年、ペリーが来航したとき日本には国旗がなく、正式に定められたのは翌嘉永7年の事である。これはペリー来航により海防上の理由から外国船と区別する為に国旗が必要となったからである。 旭日の模様(日の丸)を旗に使い出したのは奈良時代に遡るといわれ、戦国時代の旗印や馬印などにも用いられたいたことが知られている。 徳川の時代で言えば三代将軍家光の頃に日の丸船印が使われたり、寛文13年(1673)には天領からの年貢米を輸送する御城米用廻船に日の丸船印を立てるよう幕府が指示を出している。 こうして日の丸は幕末にいたるまで幕府御用の船印として定着していったのである 嘉永6年、幕府は諸大名に対して西洋型軍艦の建造を許可したが、このとき薩摩藩の島津斉彬が老中阿部正弘と会談した際「日の本の国にふさわしい日の丸」にしてはどうかと提案し、水戸の徳川斉昭が賛成、評議の結果「大船製造に付而は、異国船に不紛様、日本惣船印は白地日の丸幟相用候様仰出され候」と制定。 日の丸が幕府の旗だってのは知ってたけどまさか薩摩と水戸と幕府で決めたってのは意外だったなぁ。 戊辰戦争のとき幕軍の旗だったから明治になったら替えちゃっても不思議じゃなかったのに何でそのまま使ったのかなぁ? 一旦外国に「コレガニホンノ国旗デ~ス」って言っちゃったから引っ込みがつかなくなったのかしら?? 明治政府の人達は旗を見るたびに思い出しちゃったりしないのかな。 (よくわかる幕末維新ものしり事典)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月02日 07時51分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[幕末・あらかると☆] カテゴリの最新記事
|
|