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カテゴリ:幕末・あらかると☆
さて前回つづく。と書いてほったらかしってた、富澤さんの日記。
実は密かに読んでました(笑) 当時の生活がなんとなく漂っていていろんな意味で興味深い。 伊庭クンとの絡みは←カランでないけど。次回にまわすとしてそんな生活の一部に引っかかりました 富澤忠右衛門政怒は元治元年1月2日に連光寺村を発ち、17日に京都に到着します。 その後、4月13日に京都を発ち江戸へ向かうのですがあちらこちらへ寄っています。 帰着は5月10日。来る時より10日以上かかってます。 来る時は主人と一緒だったのでひたすら京を目指しましたが、帰りは気心の知れた卒(下僕)との旅だから行きたいところへ行ってる感じです。 その「行きたい所」が神社なんだよね~ たとえば… 「八幡宮」の「広前に拍手頓首主人の武運長久を祈り吾が主従の道中安全を願ふ」(13日)のをはじめとして←これって岩清水八幡宮のこと? 「奈良」の「若宮八幡の社に詣で」 「春日の宮」の「広前に跪き拍手頓首拝礼す」ここで「神移しの祈祷」をしてもらって「御玉串」を頂いた(14~15日) 「人麿明神」の社前に「拍手頓首」して歌を詠んだ(15日) 「三輪の社」に詣で「広前に跪き拍手頓首礼拝」し(15日) 「出雲大社」へも行きたかったが都合で果たせなかったことを嘆き歌を詠み 「伊勢」の「外宮豊受太神」の「広前に畏ミ跪き拍手頓首敬礼」し「社殿攝社末社を巡拝」 「天照太神」の「広前に畏ミ跪き拍手頓首再拝敬礼」し「宮殿攝社末社を巡拝」 ここでもそれぞれに歌を詠む(18~19日) 「熱田太神宮」に詣で「広前に跪き拍手頓首して」歌を詠み(24日) さらに 「桶狭間」では祖先の「今川四品礼部侍郎天澤寺殿秀峰哲公大居士の墳墓及十八士の墳に参拝」(26日) 「三島」に着くと「三島明神」の「社前に拍手頓首」(5月4日) 箱根を越えても参拝は続く 「相州国府」で「社の祭典ありと聞参詣」(5日)ついでに端午の節句なので「菖蒲酒と柏餅」を「取寄主従ともに道中の無事を賀し侍る」折にも歌を詠む …。どうよ?昔の人ってみんなこんなん? 10箇所も行ってるよ? ほぼ一月かけてこれだけ詣でてる 信心深いの?それともこれが普通なの? 以前「やじさんきたさん」で書いたけど、「講」と言う組織があって富士山やらお伊勢さんやらへ参拝するのを楽しみにしていたらしいからそのノリなのかしら? 伊勢参拝の時の富澤さんも外宮の神官を訪ね、その代理人が「接待員となりて饗応」してくれている。 この代理人は「毎年吾故郷を巡村する」「中村氏」で、「懇意」なので「打ちとけ物語りに夜を更し」た様子。 翌日参拝となるわけだが、この時も「龍太夫方(外宮の神官)より案内者」が連れて行ってくれたようだ。 本で読んだ知識が知り合い(?)の日記にその通りに出てくるのってフシギ。 でもってスゴクおもしろいっ! まだまだつづ~く (太字は「旅硯九重日記」より引用) ~後日追記~ 「八幡宮」の「広前に拍手頓首主人の武運長久を祈り吾が主従の道中安全を願ふ」(13日)のをはじめとして←これって岩清水八幡宮のこと? と書きましたところそう、そのとおりです。とのお返事をいただきました。 Yさま、ありがとうございます。 ついでに「岩清水八幡宮」ではなく「石清水八幡宮」ですとのご指摘も。 かさねがさねありがとうございます いや、注意が足りませんでした ちなみに「改訂肥後藩国事史料」志賀与惣右エ門の「江戸・京都御供日記 : 文久三年七月十九日~四年六月七日」は国会図書館にあるようなのでこれも後日確認します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月09日 22時13分21秒
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