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カテゴリ:毎日の記録
毎日何気なく暮らしている中にも、流れがあるようだ。
どんなに好きなことでも無理をすると上手くいかず、ニガテで嫌な事でもすんなり出来る日があったり。 なんとなくそんな流れを意識しながら、無理なく自然に生きてきた。 ふとしたことから調べ始めたご先祖様。小沼良介直忠。 どうにも会津が好き その会津藩士だったというご先祖様の事を知りたいと、漠然と思ってた。 それが去年の秋、お誘いいただいた会津で思いもかけずその名前を見つけそれを応援してくれる方々にも出会うことが出来た もっと手を尽くせば色々分かったかな?と思うことも無くはないけれど、焦ることなく時期を待つように、細く長く気長に探して行こうと思った。 私にとって唯一の手がかりである母の話を元にすこぅしご先祖様のカケラが見えてきて、さて。これからどうする? となった頃墓所が不明と言う事実に、はたと立ち止まる 果報は寝て待て。と言うけれど果報は書いて待て。だった。 ご先祖様の子孫の方、チョビ♪さんが、メッセージをくれたのだ この方は私にとってハトコに当たる方 私は母方の親戚にはほとんど逢ったことがない。名前をちらちらと聞いているのみである。 これは正直ビックリした ちょうど北海道浮かれひとり旅ツアーの頃で、ウカツにもメッセージに気付かなかったという大失態をやらかし、血の気が一気に引く思いをしたがどうにかこうにか再び連絡を取ることが出来た まったくもって面目次第もございません。←ドゲザ 決して怪しんでいたのではなくただただマヌケな私の失態でゴザイマス。 本当にご心配おかけして申し訳ありませんでした…。 ともあれ 直忠様のオミチビキか血が呼んだのか、味わったことの無い種類のしあわせをもたらせてくれました。 さて。 そのチョビ♪さんとお父様のお話の中に 「敵が攻めてきた城で白旗を振った人物」と伝わっているらしい これは鶴ヶ城開城の時のことだろうか。 なにぶん会津ダイスキを豪語する割りに、勉強不足なので図書館にすっ飛んで行きたい所ですが、さてどの資料を当たったらわかるのか? 「降参の旗は…略…三箇所に立てた。一本は正門前の石橋の西端、一本は黒鉄御門の殿様の御座所の前、他の一本は判りません。」(伊藤祐徳手記) と言うのは見つけたんだけど立てた人物については 「鈴木為輔、安藤熊之助をして北追手前に白旗を立てしむ」(会津戊辰戦史)というのを見つけたのみ。 籠城し、ともに死線を潜り抜け耐え抜いてきた女性たちの涙を吸い、全会津藩士の「残念無念」の想いを一身に受けた白旗を立てた人物だったのか? なんだか…。 急にご先祖様がリアルに思えてきた。 今まで名前のみでうっすらした存在だったのが、急に色が付き質量を増して目の前に現れたような気がした。 母の話では、その後の開場式の様子や泣血氈のコトも話していたようなので、この話はかなりリアル。 直忠様のコト、もっともっとわかるといいな。 せめて当時どんなことをしてどこにいたのか。 どこに住んでいたのか。 親はどんなヒトなのか。 富蔵さんのコトも。 他の会津藩士とのつながりとか 言い出したらキリがないけれど。 いつか。 母とチョビ♪さん一家と一緒に良助様の墓所へいけたら良いな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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