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カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
やって来ました年に一度の健康診断。
今年からいろいろギムになり、メタボ検査も加わり憂鬱この上なし しかもバリウムもあるんだよぅ。 いつもは午後から仕事なんだけど今回バリウムもあるので午後休をとった 終わってしまえばのんびりランチでまぁ、よし さて、午後からぽっかり空いたこの時間、うろうろするにはちょっと体調が心配なのでお散歩に。 で、行って来たのがここ。(おとなしくに帰れよ) なんとなく敷居が高いと言うか気後れすると言うかいろいろ口実をつけて行った事がないのだ でも-幕末維新展-をやっているので行って見ました。 薩長側から観た幕末維新かなぁ~と思ってましたがそういうわけでもなく、結構楽しめました。 安政4年8月、西郷隆盛・高杉晋作・平野次郎(国臣)の人相書き付き手配書 西郷隆盛は銅像の西郷さんとなんとなく似てる感じ。 高杉晋作はどこのジィさんって感じだし平野国臣はただの悪人顔 当時使われていた(と思われる)拳銃、ライフルもショーケースに吊るされているのでいろんな方向から見られて参考になりましたよぅ。 20連発銃なんかあったのよ 銃口が2つあるのとか。それが縦だったり、横だったり… モチロン、コルト・S&W・ルフォーショウなど御馴染みの物から初めて見るものまで8種類ほどもあり興味深かった。 コルトは当時こういうのが出回っていたなら土方さんのもこんな感じだったのかな(コルト所持希望なので)トカ。 蟹目打元込二連発拳銃。これね~、見てみたかったんだよね。 「蟹の目のよう」だからこの名前がついてんだけど「何が蟹?」と思うでしょ。 撃鉄がダブルで上に飛び出てるのよ。あ、なるほど蟹じゃん。 オモチロイ~ 東征大総督府の菊の旗(錦旗ってヤツ)とか有栖川宮の菊の旗とか、ちょっと傷んでるところあたりがなんとも。 新選組の近藤さんを紹介するビデオが流れてて、「京都の治安を守る警察部隊」と紹介していましたナ。 ま、ヒト斬り集団と言われなかったのが良しとしますか。 いろいろ興味深いものも沢山あったんだけど、イマイチ説明不足な感じで…。 お土産屋さんがまたかな~りマニアックで面白かったです。 でも太平洋戦争あたりがやっぱりメインだったわね。 自衛隊饅頭とか…。 マニアック本屋でしか見かけたことがない本がシリーズでそろってたり オモチロイ~ 外にあるカノン砲 嘉永2年(1849)薩摩で鋳造。 天保山砲台に据え付けられていたもの。 砲身に溝が造ってある~と思ったらそれは明治元年に大阪砲兵工で付けられたらしい。 でも戊辰戦争で使ったわけだよねぇ。 もうひとつ こちらは青銅八十ポンドカノン砲。 安政元年(1854)湯島馬場大筒鋳立場で鋳造。品川台場に据え付けられていたもの。 品川台場と言えば会津藩も警備についていたはず。 じゃぁ… 広い境内をふらふら歩き、ちゃんと参拝もしてからもう一つ。 <練兵館跡地> 神道無念流道場。 練兵館は天保9年(1838)俎板橋にあったが火災で類焼した為、斉藤弥九郎がこの地に再建。 その後、30年間隆盛を誇った。 練兵館は、高杉晋作、桂小五郎、品川弥次郎、など錚々たるメンバーが学んだところです。 神道無念流といえば永倉新八。 新八は坪内道場門下だったのでこちらには来なかった模様。 幕末当時「技の千葉」(玄武館、北辰一刀流剣術)、「位の桃井」(士学館、鏡新明智流剣術)、「力の斎藤」で江戸三代道場と言われました。 ついでに言うと伊庭秀業が開いた道場「練武館」を加えて「幕末江戸四大道場」とも言います。 伊庭クンはその10代目になるはずだったんだ。 10代目は弟の想太郎が継いだんだけど星亨を刺した罪で投獄中、獄死してしまい途絶えてしまいました。 でも8代秀業から免許を受けた伊勢亀山藩(山崎雪柳軒)に伝えられた系統と、平戸(松浦清・長崎)に伝えられた系統が現存。 現在、亀山藩伝の系統は三重県並びに亀山市の無形文化財に指定されているそうだ。 あ~箱根行きたいな~←オチはそこか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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