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カテゴリ:幕末・あらかると☆
昨日の春の嵐がウソのような穏やかな日差しですな。
雨上がりのぴかぴかな空気の中、珍しくバスを乗り継いで出かけてみました。 静嘉堂文庫美術館の「古地図の楽しみ-江戸時代の町を歩く-」 いつものようにケータイのNAVIで行きましたが、なぜかこのNAVI、建物・神社仏閣・学校、みんな裏門に案内してくれるんだよねナゼダ~ 岡本民家園というなんだかよさげなトコロを横目に坂を登り…山ン中を行くが如し。 やっぱり裏門に到着 イイケドネ さて、この静嘉堂文庫美術館はこじんまりとしてとても見やすかったです。 展示も30点ほどで江戸時代モノも幕末が多かったので面白かった~ お馴染みの「調布多摩川総絵図」もありました。 元治元年(1864)刊の「分間江戸大絵図」には歩兵屯所、講武所、騎兵当番所などが登場し幕末の時代の移り変わりを絵図で実感 宝暦9年(1759)刊「再刻新板本所深川細見図」は「塩満干図」があり、潮の満ち引きの時間が現在の新聞みたいに載っていたし、「関東水流図」は江戸の水路地図で江戸時代如何に水路が生活に密着していたかを伺える。 「伊豆下田港図」安政2年(1855)刊は前年のペリー来航とその後の下田開港の準備に備えて作成され、要所間の距離や海の深さを計測し書き込んだもの。 天保5年(1834)頃刊行された「江戸名所図会」に山崎闇斎の文字が ガラスにへばりついてみてみるとどうやらこれは斎藤幸雄なる人達が編集したもので、古書を引用して名所の説明を書いたらしい。 その中に山崎闇斎の書いたものを引用したらしいんだよね。ヨメナイケド。 ちなみに「日本橋」の項目でした。 武家の槍印を書き込んだもの、一枚大判の絵図が旅行の為に小型化し彩色されたり、観光が書き込まれたり時代と用途に応じて様々に変化した絵図。 時代背景を思い起こしながら見てると本当に面白いです 絵図をみると必ず「松平肥後」の文字を探しちゃいます 今回ももちろんそれを探しながら楽しんでたら嘉永2年(1849)刊行の「江戸絵図」松平肥後守屋敷に「御屋敷内綱ノ産湯…」と記載がありました。 渡辺の綱の生誕地というのはその当時から言われていた事なんだ~と、なんだかニンマリしてしまった。 美術館のお庭は梅が一斉に咲き始めたようで、暖かい中にふんわりいい匂いがしました。 散策散策 いやぁ、心が洗われますね お庭を散策していたらなにかありました。 岩崎家の御廟だそうで。 特に説明とか何もないんだけど…。 そういえばここの正面ってドコだったんだろう… と思いつつ敷地をうろうろしていたら漸く正面入口にたどり着きました いや、美術館も良かったけど御庭も良かった。 世田谷マンホールが見つけられなかったので ほほぅ。世田谷は鷺草なんですねぇ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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