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カテゴリ:毎日の記録
~仙壽院~
渋谷区千駄ヶ谷2-24-1 伊予西条松平家 向かい合わせで二体。 嘉永4年2月 明治4年 明治4年に亡くなった藩主は松平頼英。 でもこの方は池上本門寺に墓所がある 正面に松平家の墓石。 イマイチよく見えなくてはっきりしないんだけど、伊予西条松平家を調べてみても嘉永4年に亡くなった藩主がいない。 ではこの亀趺は誰のため 調査続行ってとこか。 ~池上本門寺~ 大田区池上1-1-1 松平頼看(よりみ)伊予西条藩七代藩主。 広徳院殿一道寿林日盈大居士 亀趺はこの一台だけ。 背中に碑を背負っていたと思われる。 広い墓所にはタブン歴代藩主が並んでいるけれど亀趺があるのはこの方のみ。 仙壽院で見たヒトとは違うのだ どういうつもりで亀趺を使っているのかなぁ 実はここに伊予西条藩の亀趺があるとは知らずに行きました。 探していたのは別の亀趺。 なのに誘われるようにこの亀趺にたどり着きましたよぅ。 呼ばれた… 探していたのはこちら 狩野家 狩野四家の墓所がみんな亀趺らしい。 木挽町狩野家の9代目 晴川院殿會心齋法印養信日叡大居士 狩野養信(おさのぶ)1796~1846 木挽町狩野家3代目 晃曜院法眼周信靆雲日治大居士 狩野如川周信(ちかのぶ)1660~1728 木挽町狩野家2代目 常心院古川道雲日観大居士 狩野養朴常信(つねのぶ)1636~1713 なんだかかわいい亀趺だなぁ。 「亀趺」というより「亀」 他の狩野家は見つけられず。 狩野探幽さんも亀趺らしいのだが… こちらも調査続行ってことで。 この方をみつけてしまいましたよ。 河上彦斎 明治4年12月4日 通称高田源兵衛 河上彦斎先生碑もありました。 「先生」なんだねぇ ~新井宿新井薬師堂~ 大田区山王3-29-8 仙元大菩薩。 富士講の碑ですよ。 天保3年、新井宿村の富士講中の中興の祖といわれる食行身録(じきぎょうみろく)没後百年を記念して村内安全を祈願して造立した。 「仙元大菩薩」とは富士山の「浅間」のこと。 亀趺の乗っている台座には日月、雲と富士山が描かれている。 誰がこの「碑」の台座に亀趺を使おうと言ったのか、非常に気になります。 ~東海寺大山墓地~ 品川区北品川4-11-8 沢庵和尚の碑 私が思う正しい亀趺の使い方ですよ 会津と一緒です 墓所はこちら 賀茂真淵 一見無造作に積み上げられたこの石も亀に見えなくもナイ。 国学者だからね。亀趺を用いてもフシギはナイ。と思う… 足に当たる部分に四つ、石が足らしく横に出てる。ようにも見える。 今日はここまで。 ここまで見た亀趺はいわゆる「正統派」です。 首が持ち上がったカタチ。 会津の亀趺は首がナイ。 これが何を意味するのかなぁ まだまだ勉強不足です もう少し勉強してそれからもっともっと沢山あるらしい亀趺の続きを… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月14日 19時59分02秒
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