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カテゴリ:東日本大震災
先週の朝日新聞夕刊に、作家の赤川次郎さんのコラムが掲載された。
このコラムは、演劇やオペラなどの芸術にも造詣が深い赤川さんが、観劇した舞台の感想などを連載しているコラムだ。 私が共感した内容を少し要約して紹介する。 ・芸術家には、創造力はむろんのこと想像力が必要である。 ・今回の原発事故で、著名な映画監督などの芸術家が、「餅を喉に詰まらせて亡くなる老人はたくさんいるが、それで餅を食べる習慣をやめましょうとはならない」「交通事故であれだけ死者がでているのに、車をなくそうとは誰もいわない」等と例を挙げ、だから、原発も事故が起きたからといってなくすというのはおかしいと発言しているようだ。 ・しかし、餅を喉に詰まらせた老人が一人いたために、以後、その周囲の数十キロ圏内に住む人が、何十年も故郷に帰れないわけではない、交通事故を起こした車があったため、その車を分厚いコンクリートの石棺で覆わなければならないわけではない。つまりリスクが桁違いに違うのであって、餅の事故や交通事故と原発事故を並べて比較するという発想自体、想像力の欠如である。 仰る通りだ。 原発事故は確かに起こるリスクは、餅を詰まらせる事故よりも交通事故よりも限りなく低い。 でも、たった一度でも起きると、取り返しのつかない被害を、現在だけではない、未来にも負わせる。 原発被害で、どれほど多くの人が苦しみ続けているか、それを想像できない「芸術家」に、芸術を語ってほしくない。 ひるがえって考えると、法律家に必要な一番の資質も想像力である。 今苦しんでいる人の被害を、直接味わえなくても、想像すること、一生懸命想像すること。 これは、法律家が普段から訓練していることだ。 今回の震災で、法律家が果たすべき役割は何か、いろいろなところで議論されている。 やることはあまりにも多すぎて、何から手を付けていいかわからない若い法律家はたくさんいるのではないか。 今すぐできること、それは、被災者の痛みを苦しみを、心から想像して、寄り添うこと。 それは、法律家として、普段から痛む人に寄り添おうとしている人になら、必ずできるはず。 それができれば、今度は、汲み取った想いを言葉にすること、理屈にすることに挑戦すべきだ。 法律家は、言葉の力、理屈の力を信じる集団でもあるのだ。声にならないうめきやため息を拾い上げて言葉にすることも私たちの大事な役割である。 言葉にすること、理屈にすることで、初めて、新たな解釈、新たな法律を創設する「創造力」が発揮される。 法律家一人一人ができることは、限られているかもしれないけれど、一人一人が想像力を駆使することが、大きな創造につながる第一歩だ。 少なくとも私自身は、そう自分に言い聞かせて、発信を続けようと決意している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.25 09:40:37
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