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カテゴリ:弁護士業務
修習生の起案を添削して、自分が、普段、どんなことに気をつけて起案しているか、考える機会に恵まれました。
普段の仕事に流されていると、自分が大事にしていることを言語化する機会がないので、忘れないうちに、ちょっと書いてみます。 私は、どんな事件でもそうですが、自分が理解したことは書けますが、自分が理解していないことは書けません。 なので、この事件の本質は何か、実質的な争点は何かは、無意識のうちに、というと語弊がありますが、自然と考えていると思います。 争点が自明で、何を書くべきかがすぐに見える事件は、「後は書くだけ!」という気持ちになって、勿論、構成や表現には、事案に応じた苦労がありますが、「後は書くだけ!」という気持ちが基本にあるので、起案に取り掛かることを苦に感じることはありません。 問題は、本質を掴めない時です。 私の場合、何を訴えなければいけない事件なのか分からないと、誇張ではなく一字も書けないので、この場合は、本当に苦労します。 記錄をいくら読み直しても分からない時は、信頼できる人に話をしながら自分の考えを整理したり、何かヒントがないかとその分野に関連した本を読んだりしながら、自分の心のアンテナを立てて、手がかりを探します。 それ以外の時間も、とにかくひたすら考えている感じです。洗い物をしたり、新幹線に乗ったりしている時間、意外とひらめいたりするのが不思議ですが、何にせよ、出口が見えない時間は苦しく、もどかしい。 でも、確実に分かっていることは、こうやって考え抜けば、必ず本質に辿り着けるということ。 その時期が〆切ぎりぎりだったりすることもままあるわけですが、それでも、考えて考えて考え抜けば、自分なりの本質は掴める。本質が掴めれば、書ける。 12年間、この繰り返しで、今に至ります。 本質を掴んだ後、どう構成するか、どう表現するかは、事案によるとしか表現の仕様がないのですが、一つ意識していることがあるとすれば、「読み手の立場になる」ということでしょうか。 裁判官は、大抵の場合、本人に会ったこともなければ、時間をかけて話をする機会もない。 その意味では、当事者や事件との距離感が、弁護士とは全然違う職種なのです。 それでも、裁判官に依頼者の訴えたいことを伝えなければならない。 どうしたら分かってもらえるか、どう書いたら分かりやすいか、一読了解の書面を作りたい、と意識しています。 実際には、なかなか難しいのですけど、ね。 うーん、こうして言葉にしたところで、やっぱり抽象的ですね。 起案の方法論を言語化するのは難しいです。 一つ一つの事件を通してしか、学べないところかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.03 12:15:36
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