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バス停地名学のすすめ

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2009.10.25
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カテゴリ:港区
バス停データ
◆所在地:港区 ◆路線:都営バス[品97]系統他

みなさん、こんにちは。

品川駅前から四谷3丁目までを結んだかつての都電7系統は、泉岳寺から伊皿子を経て古川橋に出ると、古川に沿って西へ進み、やがて渋谷方面との分岐点となる天現寺橋電停に到着しました。明治通りと外苑西通りとの交差点で、現在も電停名を受け継ぐ都営のバス停が交差点の周囲に立っていますが、ちょうど港区と渋谷区の境界となる場所でもあり、明治通り上のバス停は港区側に、外苑西通り上のバス停は渋谷区側にそれぞれ属しています。

天現寺橋とは、交差点の南側で古川(渋谷川)を渡す外苑西通りの橋名です。かつてはここで青山方面から南下してきた笄(こうがい)川が合流し、天現寺橋はその笄川に架かる橋であったともいわれますが、笄川の暗渠により、いつの頃からか古川の橋という位置付けで定着しています。古川は元禄11年(1698)の富士見御殿造営の際に川幅拡張が行われましたが、その終点がこの天現寺橋で、故に堀留橋の別名もありました。交差点の南西側に設けられた橋の欄干から古川を覗き込むと、笄川跡と思われる下水が外苑西通り側から合流している様子を見ることができます。笄川については、第239回「広尾橋」の項でも触れましたので、ぜひ参照下さい。

橋名の由来となった天現寺は、交差点の北西角側にあります。享保4年(1719)の創建で、聖徳太子の作ともいわれる毘沙門天を祀っています。境内には孝光天王御陵の石燈籠や芭蕉の句碑があることで知られますが、現在は境内全域が工事中で、立ち寄るのも憚れる様子です。

(次回へつづく)

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最終更新日  2009.10.26 00:33:08
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