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早朝NHK教育テレビの「こころの時代」に「天邪鬼よ 出て遊べ」と題して花田春兆さんが登場された。
これはやっぱり快挙であろう。収録は1か月ほど前から障害者福祉会館などで行われたが、サポーター役として登場された上沼さんやDの中村さんや司会の亀井さんとの息もぴったりとあっていた。資料はみんなで集めた。集まった。湧き出でた。 私は春兆(しゅんちょう)さんと2001年10月に奈良にうかがい、東大寺句会を奈良の和田先生、勝野さんの導きにより実現することができ、花田さんと東大寺の30畳はあろうかという宿坊に花田さんとたった二人でお休みした。「ここは大仏さんが寝ているところじゃないかね~」「寝言はブツブツ~(笑)」などと言って笑いながら眠った。 それが良かったのか悪かったのか俄かには分からないのだけれど、撥(ばち)が当たったのか当たらなかったのか。翌日には、大仏さんの脇に立つ四天王の足の下にぼくも春兆さんもつぶされていた(ようだ)。 「ぼくらのような脳性まひという障害の重しと同じように、天邪鬼も四天王の重しを載せてなおがんばっているんじゃないかな」とかなんとか。そんな話を花田さんがされて、ああなるほど、なるほどと妙に合点がいった。四天王につぶられていたのは、もちろん、天邪鬼こと邪鬼であった。 その邪鬼を見上げた春兆さんの光景が面白かったので、その瞬間を撮った写真も今回紹介されていて、なつかしく感じた(ついでにいうと踏切を渡るので春兆さんを車いすごと持ち上げさせて頂いている写真では私も映っていた。天邪鬼たる春兆さんを持ち上げている私である。天邪鬼ON天邪鬼) この奈良の時に詠まれた句は、 大仏の 回廊に今 鵙こだま 花田春兆 翌日には、法隆寺。「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規の碑を見ながら、ここでも法隆寺に後世の大工が遊び心も手伝って軒下の柱に彫り込んだ邪鬼を拝んできたのだが、その時の塔の邪鬼をみて、また一句。 夜は朧 古塔の邪鬼も出て遊べ (法隆寺を見上げる花田さん) 今回の番組のタイトルにもなった花田春兆さんの基本の見方はここにあった。 ではなぜ、それほどまでに花田さんは天邪鬼にエールを送るのか。 「共鳴しちゃったんだから」「理屈じゃない」 番組での発言、これだ。 これはひじょうによくわかる。いや、わかっちゃいけない。ぼくも天邪鬼だからその手には乗らない。春兆さんには1989年に初めてお会いして以来、何かにつけご一緒することがあるが、やっぱり天邪鬼だ。だから先を読めた試しがない。というか読んだ先にいつも車いす姿の春兆さんがいるから読んでも仕方ない。あとは信・じ・る、しかない。 何でそうなるかは分からない。ただ一つ、言えること。それは天邪鬼というやつは、つねに、すでに、勝手に、ぼくらをいつでも原点に引き戻してくれる、そういう無償の作用を及ぼし続ける存在だということ。 ところが、きっと、そこに大きな天邪鬼的トリックがあって(なんたって無償だからね)、グイーンと原点に引き戻されるという旅をさせられながら、気づけば「ほら、だから東といえば西と言ったじゃない」という春兆さんのレトリック(「現在」)に戻って居て、またしても、私たちはキョトンとしたままになる。もちろん、その前後で何も変わってはいない。ただ、東と言えば西と言った春兆さんの物語(レトリックはここで物語になっている)に乗せられてしまっているということ、以外は。もう、こちらも観念するしかあるまい(笑) 胸内(むねうち)の邪鬼を鍛えよ 春一番 花田春兆 これが、春兆さんの胸内に棲みついた邪鬼と私の、20年間におよぶ途中経過なのだ。 番組の最後に最新の俳句をご披露してくれている。 花田春兆 世を拗(す)ねて 拗ねきって 邪鬼 春うらら 原点に引き戻してなお春うらら、なのだ。いまのご時世ももう一度、ここまで引き戻してもらったほうがいいのじゃあないですか、ねえ、春兆さん。 83歳、重度脳性まひにして、特養老人ホームの個室で消灯時間を惜しんでぼくらにメールをくれる春兆さん。もちろん、そのぶんは、 朝寝して書くことだけの無精邪鬼 花田春兆 木もれ陽にまぎれて邪鬼の長昼寝 では、あるんだけれど、 やっぱり、(世の中に)登場されるべくして登場の花田春兆さんです。さあ、みんな揃って花田春兆さんの物語に相乗りしてしまいましょう。みんなで応援よろしくです。 そして今回はNHKの中村さんに感謝! (長昼寝のあとの春兆さん?" ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月05日 00時31分09秒
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