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埼玉の深谷に行く。
関西にも用事があったけれど、ひとつしかない身がうらめしい。ここは割り切るしかない。 ここで半分になった。そういえば今日はみごとな半月である。 深谷市民の楽しみな場所の一つ、深谷シネマが旧七ツ梅酒造に引っ越すにあたっての応援ライブをあがた森魚さんがやるということで、お誘いを深谷シネマのボス、竹石さんより以前より受けていた。竹石さんはこの7月にワーカーズコープでの対談を谷根千工房の山崎さんと根津でしていただいたばかり。私は司会を務めさせて頂いた。もちろん、その前には深谷生まれの渋沢栄一のお墓を谷中霊園で案内したことは言うまでもない。 その深谷シネマが音頭を取り持ち、あがた森魚のライブ&Aryukueダンス、スライド、音楽のライブパフォーマンスを深谷のレンガづくりの旧七ツ梅酒造(東蔵ホール)でやるというのであった。旧七ツ梅酒造敷地内は映画のロケにも使われていて、昨年はここに敗戦直後のわが町の谷中銀座商店街も再現されたときく。 (現在の深谷シネマ。移転先が旧七ツ梅酒造になる) そして、今日のライブ。題して「キネマの約束」。 このタイトルからしてボクにはすでにヤバいのであった。 半分になった私(の身)は、入場してさらに半券となった。そう、キネマの約束だから。 知る人ぞ知る(なのだろうか?)歌手、あがた森魚さんのライブは私にとって20年ぶりに体験することになった。こうしてキネマの約束は切って落とされた。 まずはAryukueユニットの本を読むパフォーマンス女性と、スライド。七ツ梅の入口らしきスライドから。 本は昆虫図鑑めいていて、そこにスライドの光があたる。ダンサーはその場合に塵にも比されよう。客席後ろから射す光線に浮かび上がる塵芥。 そういえば、オープニングにあたって深谷シネマの竹石さんが「映画館はこの蔵の向かいに来年建てられます。この蔵はまだ改装も何もしていません。(それだけに)300年の蔵を感じていってください」という粋な挨拶をされていた。観客の間に林立する柱とそこにコンセントだかスイッチだかが付いたままなのもとっても素敵だ。 「感じていってください」というそのことにまさに打ってつけのスライドと塵(踊り手)であった。塵はブラウン運動をしつつ、時に惑星直列のごとく意味ありげな行動をとる。 あとの飲み会で、竹石さんから、あそこにはコウモリすらやってくることがあるという天井の高さ。塵(存在の意味。惑星直列)を上から眺めるコウモリとは如何なる輩か! これもあとでスライド担当された首藤さんからうかがったことによると、コラボでの共有されたイメージはポール・デルボーなどのイメージでもあったそう。あるいはアリス。小人。種村。 なるほど。これらが全て七ツ梅で醸造されておりました。最後にスライド自身が動いて、花が会場いっぱいを埋め、さらには天を仰ぐ踊り手を挑発しておりました。 ちなみに首藤さんは、わが町、谷中で柏湯がギャラリーのスカイザバスハウスに生まれ変わる劇場空間の一部始終を写真に残された人でもありました! 休憩時間に少し離れた敷地内のトイレにみんな大挙して移動した時にも月は半券を残して私たちを待っていてくれました。 そしてあがた森魚さんの登場。高崎映画祭で使われたらしい映像が流れる中、演奏が始まる。映像のなかでは、障害をもった女の子の家族?が登場していた。ぼくにはそのことが新鮮に感じられた。そのことはあがたさんに打ち上げの時にお話しておいたので、半券は手元にないので今ここで申し上げることは出来ないのだけれど、気づいてみれば、このライブ会場にもろう者とおぼしき男女二人組が来て見入っていた。 あがたさんの20年前に戻ると、当時はいろんな人にあがたさんのライブを勧めた。そのうちの一人は、ろう児に響きを伝えるワークショップをしていたS君で彼もみごとにあがたワールドにはまっていた。 ぼくはぼくで、当時カンディンスキーというあがたさんの事務所が新宿高層マンション群を臨む小さなビルの外階段をつたって屋上にあったプレハブ小屋のような事務所に、興味本位で足を延ばしたことがあった。屋上の事務所というだけで当時のぼくには十分であった。カッコヨカッタ。(あとになって中央法規出版の当時編集者が羨ましがっていた。隠れあがたファンは福祉の本丸にも居たのが新鮮だった。妙な連帯感に包まれる)。 これに匹敵するはろう者で鉄骨だらけの積み荷の倉庫の屋上に秘密の隠れ家をもっていたGさんあたりであろうか。 余談までに東京タワーの下から展望台までの手すりに33の物語を点字化して貼り、そこを100人の盲人と晴眼者とで読み昇った2000年当時、私が意識していたのは、クリフトの大風呂敷アートとあがた森魚さんのこの屋上の事務所という感覚、エッフェル塔が喜んでいるというフレーズのあがたワールドに違いなかった。東京タワーに凹凸の点字の鳥肌が付いたのだからタワーもオイラも本望だ。 ライブが始まって3曲目くらいに、林海象監督の伝説の映画「夢見るように眠りたい」からの「手品のわるつ」は感激した。80年代に青山CAYレストランで映画の前夜祭ライブがあったときのことが走馬灯になった。ぼくは今よりも20年若く、あがたさんは今と変わりなかった。 そして終盤。「大寒町」などにまじって、「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」は初めて聴いた曲だが、あがた森魚さんのMCと合わせて泣けた。 あがた森魚少年がやがて半分になり、また半分になり、そうして半分になっていく。半分という現実社会と、取り残されていく選び取ることのなかった世界。その半分ずつの片方が負債となって片方に乗りかかるも、あがた森魚少年に託されたネモ船長とノーチラス号(海底二万マイル)は半分の半分の半分の半分を、半分の半分の半分の半分になるほどに過激に歌いこんでいく。負債が希望になる。百合コレクションになる。 そうか。この半分の半分と半分の半分の半分をつなぎ合わせたところに映画という時間があるんだ。それがキネマの約束というものなんだ。佐藤先生がザンコクな人というのが分からない? そりゃ~、ネットやデジタル機器に囲まれた君たちには分からんでしょう。半分というのをつなぐというのもね。でも、だからこそ、騙されたと思って映画館に足を運んでみなされ。 半券もってね。約束するよ。 (10月10日からは新作映画「あがた森魚ややデラックス」モーニング&レイトショーが東京のシアターN渋谷で) (2623文字) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月28日 02時25分39秒
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