(株)ヤマダ電機 【東証1部:9831】 - 低価格もサービスの一つ
山田 昇(やまだ・のぼる)さん (株)ヤマダ電機【東証1部:9831】会長1943年宮崎県生まれ。73年、日本ビクターを退職し、前橋市内に電器店「ヤマダ電化センター」を創業。83年、株式会社「ヤマダ電機」を設立し、代表取締役社長に。先月27日の定時株主総会で、社長をおいの一宮忠男氏に譲り、代表取締役会長兼CEOに就任した。 1980年代初頭、従業員の独立などで規模縮小の窮地に立たされた山田さんは、苦肉の策として行った「在庫一掃セール」で予想外の成功を収めた。「低価格での店売り」という新たな家電販売のスタイルに目覚め、松下の系列を離れて混売店に転換することを決意する。安売り攻勢受け「戦争」 ちょうどそのころ、隣の栃木県でも「コジマ」が同じようなことをやっていると聞き、「これは群馬にも来るだろうな。それまでに地盤を固めなければ」と考え、チェーン化を本格的に開始しました。ところが、資金的な問題が出てきました。 コストを抑えるため、借地に出店していたのですが、銀行は担保の不動産がないと融資しないと言うのです。「それならば、市場から直接調達しよう」と、89年に株式を店頭公開し、さらに翌年からは、外国人投資家らを対象に、スイスフラン建ての転換社債を5回にわたり発行しました。転換社債は全部当たり、多店舗展開の原動力となりました。現在も、弊社の外国人持ち株比率は60%近くあり、国内企業で1番です。 バブルが崩壊し、大規模小売店舗法(現在は廃止)改正で、大型店舗の出店が緩和された90年代初頭、コジマを始めとするライバル店が群馬県内にも進出してきました。当時、弊社は「日本電気大型店協会」(NEBA、2005年に解散)という親睦(しんぼく)的な業界団体に加入しており、当初は、値段よりも「真心のサービス」で対抗しました。お客さんに毎月電話して、製品の調子うかがいをしたり、無料巡回サービスカーを毎週走らせるなどしたのですが、NEBAに加入していないコジマの安売り攻勢にどんどん客を奪われ、通用しませんでした。 そこで、NEBAを脱退して始めたのが「コジマさんより安くします」という比較売価です。この時の低価格競争は後に「北関東戦争」と呼ばれるほど激しいものになりました。 これを機に、「価格も一つのサービスなんだ」と、私の考えも変わりました。結局、商品はどの店でも同じである以上、いくらサービスしても限界があり、やがて存続できなくなってしまう。サービスの力を信じてやってきたけど、コジマに敗れ、きれいごとは通用しないことを悟った私は、以後、「低価格」というサービスを経営戦略の中に位置づけました。この時が、ヤマダ電機の実質的なスタートだったのです。何でも言える雰囲気を 今、特に力を入れているのは人材育成です。そのため、社内に何でも言える雰囲気を作ることを心がけています。社員が、志をはっきり意思表示できる環境を作れば、結果的に仕事へのモチベーションが高まるからです。また、生活がしっかりして初めていい仕事ができるわけですから、ワークライフバランスにも気を配っています。部下に残業させず、休みも取れるようにして、明るい職場にすることが、部下の育成につながる。「おれは仕事人間を押しつけない」と、社員に常々言っています。<オフタイム>箱根の温泉楽しみ 私は仕事人間ですが、最近は、映画を見たり、ゴルフをしたりして、意識的にぼんやりと過ごす時間を週1回ぐらい作っています。また、神奈川県箱根町にある弊社の研修施設内の温泉に月1、2度入るのも楽しみです。施設内にはプライベートの庭園も造ってあり、温泉ともども研修中の社員に開放しています。(2008年8月6日 読売新聞)バックナンバー顧客300軒 巡回で獲得 - 2008年07月30日関連サイトヤマダ電機|YAMADA DENKI Co.,LTD.ヤマダ電機 - Wikipedia株価Yahoo!ファイナンス - 9831.t株価ジャッジ | ヤマダ電機 (9831)株価 9831:ヤマダ電機 - Infoseek マネー9831 ヤマダ電機 銘柄ニュース < 銘柄分析 | 株マップ.com