「敬意」も助けた美しい夜~バルバラ・フリットリ、ソプラノリサイタル
ヴェルディの故地をめぐる観光を含んだオペラツアーに、必ず持参するCDがあります。 バルバラ・フリットリの、「ヴェルディ・アリア集」。 まだ若い頃の録音ですが、ほのかな湿り気を帯び、澄んだ、清らかな、格調高くしかも端正な表現力に富んだ声で歌われるヴェルディは、何度聴いても聞き飽きません。 ヴェルディの故郷ブッセートに向かうバスのなかで、何度、このCDをかけたことでしょう。パルマからブッセート近辺にひろがる野の眺めに、その野に照り映えた夕暮れの景色に、清らかな鈴のように鳴り響くフリットリの声が重なった瞬間の至福を、忘れることができません。 今、ヴェルディのヒロインを誰で聴きたいかと言われたら、フリットリに指を折ります。声の美しさに加えて、美しく端正なイタリア語の響き、格の高さ、整ったフォーム。理想的です。「椿姫」のヴィオレッタのように、いわゆるヴェルディ歌いでない歌手もすぐれた演唱をする役もありますが、ヴェルディ一般でいえば圧倒的にフリットリです。 「ルイザ・ミラー」、「シモン」、「ファルスタッフ」。。。彼女のヴェルディに、失望したことは一度もありません。DVDやCDを含めても、もちろん。 そのフリットリ、待望の来日リサイタル。馥郁としたヴェルディ、そしてリヒャルト・シュトラウスに酔ってきました。 フリットリの素晴らしさは、歌手としての知性にもあります。彼女の演奏に決して裏切られたことがないのは、自分の声を知り、合わないものは避けてきた賢明さが大きいと思うのです。そして一歩一歩成熟してきた。白百合から大輪のカサブランカへ。こんな成熟を見せてくれる歌手は、そういません。このようなひとと同じ時代を共有できるのは、幸せなことです。 彼女の知性と意欲は、プログラムの構成にも見られました。東京で2回のコンサートは、リヒャルト・シュトラウス&ヴェルディと、マルトウッチ&ヴェリズモ。声の成熟にあわせてヴェリズモへとレパートリーを移行してきていますから、2夜通えば彼女の違う魅力が堪能できるわけです。 さて、前半のリヒャルト・シュトラウス。まず幕開けのオケ曲が、サロメの「7つのヴェールの踊り」だったのがおもしろかった。実はこの曲だけ単独できいたのは初めてでした。イタリア人指揮者のカルロ・テナンの指揮が、また思い切りがよくて躍動的。ドイツぽくないシュトラウス。1曲目から盛り上がります。 フリットリが歌ったのは「4つの最後の歌」。それは、ドイツぽくはありません。ヴェールのようにやわらかく、きめこまかい。子音をくっきりさせるドイツ語らしさもきこえないドイツ語。でも、音楽としては美しかった。思わず、目頭が熱くなってしまいましたから。テキスト云々ではなく、音楽として美しいからです。ベルカント的なシュトラウス??? 後半は、「オテロ」のバレエ音楽という珍しい選曲(パリ版で追加されたもので、めったに聴けません)に始まり(面白かった)、「トロヴァトーレ」「シモン」「運命の力」のアリア。もちろんオーケストラ曲として、おきまりの「運命」序曲も。楽しめるプログラムです。 このへんは、まったくもってフリットリの独壇場。夜の庭園の景色を浮かび上がらせる、ロマンティックな「トロヴァトーレ』。暗い藍から、朝日をすべらせ、黄金いろへと明けそめて行く海の香りが漂う「シモン」、絶対的に美しかった「運命の力」。最後の曲はまったくもって圧倒的で、ヴェルディがこれを聴いたら、満足したに違いないと思ってしまいました。最後のクライマックスでは、文字通り鳥肌が立った。世界一のプリマの貫禄です。「運命の力」も近く舞台で歌うそうで、おおいに楽しみ。聴きに出かけたい演目がまた増えてしまいました。 もうひとつ感動的だったのは、聴衆です。フリットリが何者かを知り、その歌のすばらしさを知り、昨年メトの来日公演で見せてくれた彼女の日本への愛に心を打たれた聴衆がそこにいました。最初から最後まで、会場に幸福感が満ちていたのは、演奏者と聴衆の間に存在していた信頼感のためだと思います。だからもちろん、フライング拍手もブラボーもない。ちゃんと、拍手するタイミングもわきまえているレベルの高い聴衆。幸福感に存分に浸れたのは、聴衆のおかげも大きかったと思います。 「私は、日本の聴衆を尊敬しているの」 2年前ちょっと前のリサイタルの時、楽屋で挨拶したフリットリは、聴衆の熱い反応の興奮さめやらず、感激の面持ちでそう語っていました。 「尊敬しているのよ io adoro」と何度も繰り返していた。すごく印象に残っています。フリットリと彼女を知る日本の聴衆の間には、ほんとうに「尊敬し合う」=「adorarsi」と言いたくなる関係ができているのだ、そう思えた夜でした。