フレッシュでベルカントな声が「若者たちの恋」を表現した最終日の充実〜藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」
藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」。ずっと新年恒例だった演目が復活。ちなみに藤原では原語の「ラ・トラヴィアータ」を随分前から使用しています。 以前は、デヴィーア、メイ、ボンファデッリ、ゲオルギューなど世界のプリマを呼んできていましたが、今回は3回公演すべて藤原歌劇団の歌手が主演。藤原の顔見世興行的な舞台となりました。初日と3日目を鑑賞。初日はスター、ベテランが揃い、3日目はやや若手〜中堅どころの歌い手。といっても3日目の歌手も、ファンのあいだではよく知られている顔ぶれです。 総合的には、3日目のほうが全体のバランスがよく、いい公演になりました。何より歌手が3人、スタイルの上で揃っていた。 ヴィオレッタ役光岡暁恵さん。ベルカントの名手として知られます。高い技術、美しく澄んだ、しなやかで可憐な声。「ルチア」「カプレーティとモンテッキ」などの名唱が印象に残っています。今日も、ベルカントの流れを汲んだ、ドニゼッティの延長線上にあるヴィオレッタ、と、第一幕では思ったのですが(それはそれでもちろんいいのです)、そして第1幕も上々でしたが(とくに最後のアリアで高音Esにあげてくれたのは嬉しかった。やっぱりあれが聴きたいんですよ、客席にいる身としては。めったに聴けないですからね。ゲオルギューもネトレプコも出していない。メイとかデセイは出しますが)、圧巻は第2幕以降。ベルカントらしい様式美を保ちつつ、そのなかでの細やかな情感の表現が素晴らしかった。デヴィーアのヴィオレッタを思い出しました。(光岡さんのほうが、よりピュアで美しい声ですが)。第2幕のジェルモン(上江隼人さん)との二重唱は、ソプラノの明度の高いながら細やかな感情をちりばめた声と、巧妙に説得を繰り広げるバリトンの、緩急に富んだ声の対比が実に見事で、「声」に集中したくて舞台から目をそらし、天井を見ていました。(失礼!)舞台を見ないなんて歌手の方に失礼、なのはよくわかるのですが、「声」に集中したい、「声」の美しさそして演技に集中したい時は、目をつぶったり視線をそらしたりしてしまうのです。。。。ごめんなさい。でもそれをしたくなる、ということは、それだけ、演技力も含めて「声」が見事だったということで、お許しいただければと思います。光岡さん、レガートも実に美しく、この点も第二幕の二重唱での絶望の歌は圧巻でした。よく通るピアニッシモの見事さも特筆すべきでしょう。 アルフレードの中井亮一さんも、ロッシーニをはじめベルカントオペラが得意な歌手。甘く、柔らかく、テノールらしい若々しい美声、高い技術、そしてイタリア語の明瞭さ〜これは強い〜は随一です。光岡さんとスタイルが揃っていて、第1幕は「ルチア」を聴いているような気分になったりしましたが、それも「ドニゼッティの延長線上にあるヴェルディ」と捉えれば違和感はありません。第3幕のヴィオレッタとの二重唱は、「若者たちの絶望的な恋」の、最後の甘い輝きとして大変印象に残りました。今回の主役の2人のような軽めの声で歌われる「トラヴィアータ」は、若々しさが伝わり、若者たちの恋、という面が際立ちます。実際、モデルになった娼婦や作家は20代だったのですから、そういう意味ではこういう声のほうがいいのではないかと思うのです。 バリトンの上江さん、イタリアでも活躍しているスタイリッシュな声は健在。中声域が充実してきたのは、最近ヴェリズモにも取り組んでいるせいでしょうか。嫌味のない頑固オヤジ、つまらないケレン味がないところが好感が持てますし、他の2人とのスタイルとの共通点も多く、よいバランスでした。そう、主役たちのバランスがいいと安心して聴ける、それがわかったのも収穫でした。 対して初日組は、ヴィオレッタ役砂川さんがほぼひとりで支えていた舞台。日本を代表するスター・ソプラノ、声にも容姿にも華のある歌い手で、表現力もあり、客席を引き込む力がすごい。ヴィオレッタ役は何年か前にびわ湖ホールで聴かせていただきましたが、その頃とはちょっと声が変わってきていて(プッチーニなどが増えてきたからでしょうか)、より劇的な表現に比重が置かれていました。それはそれでいいのですが、高度なベルカントのテクニックもある方なので、もうしばらくベルカントの分野でも歌い続けていただきたいなと。「ドン・パスクワーレ」や「カプレーティとモンテッキ」なども素晴らしかったので。今回、第1幕のアリアがやや力で押した感があってちょっとひやりとしました。実はこの幕で、演出家からの要請で、身体的に無理を強いられた面があったらしいので、それがなければまた違ったかもしれません。 問題は男声陣です。アルフレードの西村悟さんは、声自体は魅力があり、上背もあってヴィジュアルもよく、スター性はあるのですが技術的に「歌えていない」場面が散見され、ジェルモンの牧野正人さんは、堂々とした「声」で圧倒はしましたが、安定度という点ではちょっと。というわけで、すべての負担が砂川さんにかかってきた感あり。そのなかで大役を高いレベルで歌い切る、というのは、まさに「プリマドンナ」とはこういうもの、と見せつけられた思いでした。 佐藤正浩マエストロ指揮の東フィルは、歌手に寄り添う、職人的といいたくなる音楽作り。弦の歌がたっぷりと美しいのは、この作品をはじめイタリア・オペラを数多く演奏してきた東フィルの力でもあるでしょう。 粟國淳さんの演出は、絵画と鏡を大道具に退廃的な雰囲気を出し、衣装(アレッサンドロ・チャンマルーギ)は1840年代の再現。限られた予算で、観客がこの作品に求める豪華さを出していました。第2幕第2場のフローラの館のシーンは、絵画がすべてヌードになり、娼婦の館らしさを演出。一方で細かい演技は歌手に任せられていたようで、ヴィオレッタの絶命シーンの演技も、砂川さんと光岡さんでは全然違っていました。 ベルカントは世界的に人材豊富ですが、日本でもそうなるかどうか、希望とともに考えさせられた舞台でもありました。