野口英世、ちょっとファンク
野口英世さん。 はい。1,000円札の方です。私が子どものころ、親に「与えられた」偉人伝のなかに「ヘレン・ケラー」「コロンブス」「キュリー夫人」などに混じって「野口英世」がありました。もしかすると、一番最初に読んだ日本人のエライ人バナシ、かも。 詳細を覚えているほどではありませんでしたが、1歳のころ、囲炉裏に落ちて左手が全部くっついてしまったということがかわいそうで、そのことを鮮明に覚えていました。その生家を擁した野口英世記念館が猪苗代にあります。 野口英世は、貧しい家に生まれ、父ちゃんはアル中(ジェイムス・ブラウンとも言う)、お母様(その名も「シカ」)が勤勉で、左手を火傷してしまった清作(英世の元の名前)のために昼も夜も働き、清作もその母や、支えてくれた友人、手を治療してくれた主治医に応えるために勉強して医者になり、ニューヨークへ留学した後、南米エクアドル、ペルー、アフリカのガーナで黄熱病のワクチンを開発し貢献しました。最期はガーナで自らも黄熱病にかかり亡くなっています。 記念館にはお母様の手紙がありました。ちいさいころ覚えただけのうろおぼえの文字でこんな手紙を書いていたということ。涙なしには読めません。 しかしそんな美談で固められた偉人、野口英世にも実は人間らしいエピソードが……! ←つっこみどころ、ともいう。アメリカに留学する前、みんながカンパしてくれた大金を神奈川の料亭で散財してしまったのだとか。米10kg、1円で買える時代に、200円を一晩でつかってしまったんだとか。 翌日、正気にもどってかなり慌てたそうですが、激しく後悔したんだろうなw。そんな後悔がきっと何よりもその後の彼を支えたことでしょう。しかし、どうして偉人伝にそのこと、書いてなかったんだろう。ちゃんと、ダメな部分も書かなきゃ、誰も共感できないじゃないの。 なんだか、遠い偉人さんであったはずの野口英世ですが、そのエピソードひとつで、急に親近感が湧いてしまいました。