カテゴリ:現代短歌の曠野
吉川宏志(よしかわ・ひろし) 水のあるほうに曲がっていきやすい秋のひかりよ野紺菊咲く 歌集『海雨』(平成17年・2005) 註 重厚なリアリズムを基調とする作者には珍しく、シュールリアリスティックな発想を含む作品といえる。「水のあるほうに曲がっていきやすい秋のひかり」に、何らかの論理的、もしくは比喩的・象徴的な意味があるのかどうか分からないが、この畏敬すべき「若き巨匠」の近年の他の作品同様、一見平明でありながら、まれに見る言葉の美を生み出している。詩歌の本質とは「無用の用」「理外の理」であると改めて感じさせる一首である。 個人的・主観的には、「(ひかり)よ」に舌を巻いた。呼びかけ・詠嘆を表わす四句止めのこの「よ」は、この一首に凛とした清冽な調べを齎している。この「よ」の持つニュアンスは意外に重く、偉そうに聞こえてしまうかも知れないが、自戒を込めて言えば、軽々しく使うべきではあるまい。こうした「よ」の用法は、しばしば初心者が安易に用いるが、稀なビギナーズ・ラックを除けば、安っぽい歌謡曲の歌詞のようになり、いかにもしろうとっぽく、おおむね失敗している。作歌も中級者ぐらいになるとほとんど使わなくなるのではないか。 私なども、もし他の語句が浮かんだとしても、無難に「に」で繋げてしまいそうな気がする。 ・・・が、ここではトップ・ランナーの歌人が周到に用いている。 「方へ」ではなく「ほうに」になっている点なども含めて、細かいテクニカル(技術的、技法的)な面に至るまで吉川氏の作品群は表現のレファレンス(標準)の宝庫と思う。
ノコンギク画像 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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