136.サイパン島の玉砕(6) これが人間同士の対話だろうか。運命は恐ろしいものだ
(カモメ)サイパンには、これら多数の海軍、陸軍の将官がいたため、指揮系統が乱れ、統一した作戦が出来なかったとも言われていますね。(ウツボ)そうだね。「サイパン肉弾戦」(光人社NF文庫)によると、米軍はサイパン南部から侵攻をしてきた。第三十一軍司令官・小畑英良中将はパラオ島に滞在中だった。そのとき、アメリカ軍のサイパン島上陸が始まった。(カモメ)小畑軍司令官一行は直ちにサイパン島に飛びましたが、制空権は全く、アメリカ軍に属していた訳です。サイパン島のアスリート飛行場は使用できず、やむなく、北部の工事半ばで未完成のパナデル飛行場に着陸しようとしましたが、これもアメリカ軍の攻撃を受け、やむなくグアム島に着陸しました。(ウツボ)そのグアム島の小畑軍司令官に対して、大本営から次のような電報が送られてきた。(カモメ)読んでみます。「軍司令官は何の目的でパラオに行ったのか。また何ゆえグアム島に留まってサイパンの戦闘を指揮しようとするのか。これは適当ではない。万難を排して速やかにサイパンに帰島せよ。命により参謀次長電報す」というものでした。(ウツボ)これは現地の事情を知らない大本営が、暗に小畑軍司令官の帰島の意思のなさを、なじったものだった。(カモメ)これに小畑軍司令官は憤怒して、「これが人間同士の対話だろうか。運命は恐ろしいものだ」と独り言を言ったそうです。そして次の返電を大本営に発しました。(ウツボ)読んでみようね。「サイパン攻撃の報に接し、直ちに帰島するに決心したが、サイパン島は米空軍に完全に制空権を奪われ、飛行場も着陸を許さず、貴方より着任の塚本参謀は大本営よりの命なりとて私のサイパン島への帰島を強く私に強要したが、諸般の状況によりグアム島にて第三十一軍を指揮するに決した。ここに再度、当時の状況を報告打電するは、大本営の現地の状況の再認識を促すためのもので《太平洋の防波堤》となることを陛下にお誓いした小畑は命を惜しむものにあらず。サイパンとの通信連絡の確保されている現状においてとった最高で最良の軍司令官の決心であることを了承せられよ。爾後機を見てサイパンに潜入する決心に変わりはないことを申添う」(カモメ)著者の平櫛中佐は「大本営と軍司令官との、判断と処置の不一致はいなみ得ないが、巷の喧嘩のようななじりあいを行った。東京の大本営はサイパンの勝利を考えていたのだろうか」と述べています。(ウツボ)この電報中にある、「貴方より着任の塚本参謀」だが、当時の総理、東條英機により、サイパンに放逐された人だ。(カモメ)そうですね。中部太平洋戦争の戦況が極度に悪化した昭和19年6月、それまで陸軍省整備局の物資動員の主任課員であった塚本清彦少佐(陸士43期)が、確かに、第三十一軍参謀としてマニラ経由でグアム島に赴任していますね。(ウツボ)それはね、当時陸軍大臣と参謀総長を兼任していた東條首相に、塚本少佐は自らの職責上の資料を基として戦争経済の見通しを述べ、東條首相に、「首相を辞めて軍事に専任すべきである」と諌言したんだ。ところが、これが東條首相の逆鱗に触れ、中央から放逐されサイパン戦線に送り出された。(カモメ)塚本少佐は妻に「俺は遠島流刑に処せられて、サイパンに行く」とその無念の胸中を、絶叫したと言われていますね。(ウツボ)まだある。サイパンにいた中部太平洋艦隊司令部陸軍参謀兼第三十一軍参謀の橋口武秀中佐も陸軍省兵備課の主任課員だったが、軍事機密書類の紛失の責任を問われてサイパンに放逐されている。(カモメ)塚本少佐は、「グアムにいる小畑軍司令官を、是非サイパンに連れて行け」との任務を与えられていた訳ですね。(ウツボ)そうだね。だが、塚本少佐は、戦死して、二度と本土の土を踏むことはなかった。(カモメ)これについて、著者の平櫛中佐は「そもそも当時戦場に赴くことは帝国軍人の最大の名誉として、上は軍司令官から、下は一兵卒まで、出征した。だが、戦場に送ることを懲罰の具とし、戦場を左遷の地としてとらえていた、大本営の指導者は最大の汚点である」と述べています。(ウツボ)朝日新聞や毎日新聞の陸軍省詰の新聞記者が、その記事が当局の意に添わなかったため、召集令状を受け、一兵卒として戦地に送られたこともある。(カモメ)そうですね。昭和19年2月25日、毎日新聞の朝刊一面に「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」の見出しが出ました。これを読んだ東條首相は激怒しました。(ウツボ)そう、竹槍とは歩兵であり、海洋航空機とは、海軍機のことだね。つまり、この記事は「戦勢回復には、陸軍では話にならぬ、海軍航空隊を強化しなければならない」という趣旨であると、東条首相は受け取った。(カモメ)東條首相は、毎日新聞の海軍省記者だったこの中年の筆者をただ一人、突然招集しました。敗戦濃厚な現実を指摘した発言者を抹殺しようとしたのだ、と言われています。(ウツボ)この記者は、新名丈夫(しんみょう・たけお)氏だった。