118.アッツ島玉砕(8) それは目を覆うばかりの残酷で、悲惨で、恐怖に満ちていた
(カモメ)陸海軍の不統一はかねてから懸念されていましたが、ミッドウェイ海戦後その対立はしだいに露骨になりましたね。(ウツボ)そういわれているね。そういう事情で、5月20日、アッツ島救援作戦の中止電報が樋口季一郎北方軍司令官から現地の山崎守備隊に伝えられた。(カモメ)その内容は「中央統帥部の決定にて、本官の切望救援作戦は、現下の情勢では、実行不可能なりとの結論に達せり。本官の力およばざることはなはだ遺憾にたえず、深く謝意を表するものなり」というものでした。(ウツボ)また5月23日には次のような電文が北方軍から山崎守備隊に打たれた。(カモメ)読みます。「軍は海軍と協同し方策を尽くして人員の救出に努むるも地区隊長以下凡百の手段を講じて敵兵員の尽滅を図り最後に至らば潔く玉砕し、皇国軍人の精神の精華を発揮するの覚悟あらんことを望む」(ウツボ)つまり、最後には玉砕しろということだ。(カモメ)「アッツ島玉砕戦」(光文社NF文庫)によると、援軍を待ちに待って、ついに絶望的な気持ちになったとき、湾内を埋め尽くす敵艦のなかに、見た目にしみるような白い士官服に身を包んだアメリカ人将校の姿が見えたのです。(ウツボ)そう。ボロボロヨレヨレの姿で、闘いつかれたアッツ島の兵士にとっては、白い士官服の米軍将校の姿は、あまりにも対照的で、夢の中の一コマのように思えた、と述べられている。(カモメ)5月28日、全将兵が待ち望んでいた増援部隊は、やはり来ず、島からの撤収作戦は実現不可能になりました。(ウツボ)山崎部隊長は、もはやこれまでと判断し、残存兵力をもって、午後六時を期して、最後の総攻撃を行なうことを決定した。(カモメ)戦闘に参加できず、体は動かせないが、意識のある者には手榴弾を渡して自爆させ、意識のない者は、注射か拳銃で軍医が始末しました。(ウツボ)アッツ島玉砕を伝える内地の報道は、その全てが、「皇軍の神兵は、従容として天皇陛下万歳を叫んで死んだ」といった調子であったがこれはうそだった。(カモメ)人間の死に様は、そんな画一的なものである訳はないし、そんなタテマエだけの、キレイ事で単純に死ねる訳はないですね。(ウツボ)実は、それは目を覆うばかりの残酷で、悲惨で、恐怖に満ちていたと述べられているんだね。(カモメ)5月28日午後五時、山崎守備隊長は生き残った五百~六百名に対して、総攻撃開始を命令しようとしていた。(ウツボ)そこへ海軍の江本参謀が喜色満面の面持ちで、「午後八時に増援艦隊がサラナ湾に入港する電報をキャッチした」という報告をもたらした。(カモメ)吉報はあっという間に各陣地に伝わり、前線の将兵は小躍りし、生氣は蘇ったのです。(ウツボ)「これぞ神風だ」と、大声でわめく将校もいた。(カモメ)本部は江本参謀の報告によって、ただちに総攻撃中止を下命しました。(ウツボ)「援軍来る」で、勇気百倍の高射砲陣地が、第一弾を洋上の敵輸送船に放ったのを機に、各隊は、それまでの沈黙を吹き飛ばして、猛射を開始した。(カモメ)もう弾丸を撃ち尽くしてもいいと思ったんですね。あと数時間持ちこたえれば、軍艦旗をはためかした無敵艦隊が堂々と入港してきて、アメリカ軍をたたきのめしてくれると。(ウツボ)全将兵は信じられないほどの働きを各隊は示し、アメリカ軍は三百メートルも後退した。(カモメ)待望の午後八時になるまで、なんと長かったことか。その時刻がなんと待ち遠しかったことか。その時刻がなんと光り輝いて思えたことか。(ウツボ)待ちに待った午後八時になった。だが待望の増援部隊はその姿を現さなかったんだ。(カモメ)「なに都合でちょっと遅れているだけだろう。あと一時間すれば必ず艦隊は到着する」全員がそう信じて、くじけることなく、必死で抵抗を続けていたということです。(ウツボ)丸別冊「北海の戦い」(潮書房)の中の「アッツ島玉砕記」によると、「海軍の江本少佐の通信隊が、いかに電鍵を叩いても、守備隊からの増援要請は満たされたことがなかった。いよいよ撃つべき弾も尽きた。食料も尽きた。ただ残されたものはやせ衰えた肉体だけである。肉弾だけであった」と述べられている。(カモメ)午後九時になり、将兵たちの間に動揺と不安がひろがりました。無情の時計が午後十一時を指しても、艦隊は依然として到着しなかったのです。(ウツボ)午前零時になるとさすがに全員絶望した。天国から地獄へ落ちたのだ。負傷兵の死亡も目に見えて増えた。生きる気力がなくなったのだ。