288.戦艦武蔵の最期(8)魚雷一本が武蔵の艦首左舷に命中した
(カモメ)アメリカ海軍は呉と長崎で新造戦艦が進水したらしいという情報を得ていたが、それ以上のことは分からなかったのですね。(ウツボ)推測はしていた。アメリカはその日本の新造戦艦が主砲は十六インチ(四〇センチ)砲、排水量は三五〇〇〇トン程度と予想していた。(カモメ)さらに一部では主砲は十八インチ(四六センチ)砲で、排水量も四〇〇〇〇トン~五〇〇〇〇トン級の大型艦かも知れぬと予想していたと言われていますね。(ウツボ)そうだね、それもあくまで推測だった。結局、戦艦大和、武蔵の詳細は終戦までアメリカは知ることができなかった。戦後来日した米海軍技術調査団により始めてその全貌が明らかになった時、その巨大さに彼らは非常に驚いた。(クマノミ)外人だけでなく日本人でさえも、戦艦大和、武蔵の内容はもちろんのこと、艦名についても知る者は極めて少なかったのですね。(ウツボ)そうだね。さて、昭和十九年頃の戦況について見てみよう。一月三十日アメリカ軍はマーシャル群島のクェゼリンに上陸、二月六日、日本軍守備隊三千人は玉砕した。(カモメ)このことにより、トラック環礁が最前線の基地となりました。すでにソロモン攻防戦で日本の航空戦力は底をつき、トラック基地上空はほとんど無防備にとなっていたのです。(ウツボ)そこで、ただちにトラック環礁内の連合艦隊の全艦艇は出港し、パラオ、シンガポール方面へ向かった。戦艦武蔵は駆逐艦数隻を伴って内地の横須賀へ向かった。(カモメ)その後まもなく、昭和十九年二月十七日、十八日、トラック諸島の海軍基地は、アメリカ空軍により猛爆撃を、使用不能とされるほどの大被害を受けました。これは太平洋の制海権を半ば以上アメリカ側に引き渡す結果となったのです。(ウツボ)その後戦艦武蔵は三隻の護衛駆逐艦とともに横須賀を出港し、輸送船の役目を兼ねて太平洋上の重要基地パラオに向かった。(カモメ)昭和十九年二月二十九日戦艦武蔵は環礁につつまれたパラオ諸島のコロール泊地に投錨しました。陸上部隊を上陸させ、満載の物資を陸揚げしました。(ウツボ)パラオに入港して一ヶ月目の三月二十七日、連合艦隊司令部は「敵大機動部隊、ニューギニア北方を西進中」との情報をキャッチした。(カモメ)連合艦隊参謀長・福留繁中将(海兵四〇・海大二四首席)は、朝倉艦長を呼んで、次の様に指示を出した。(クマノミ)読んでみます。「当基地への空襲の公算きわめて大である。艦隊は敵の空襲を避けるため外洋へ避退せよ。なお、司令部は陸上に上がって指揮をとる。敵の空襲は、南東ないし南方からと判断されるから、艦隊はパラオの北方ないし北西一八〇浬付近まで避退すべし。敵が去った折には、艦隊はパラオに帰投、司令部も再び武蔵艦内に復帰する」。(ウツボ)戦艦武蔵は、古賀司令長官、福留参謀長ら司令部要員のあわただしい離艦を見送り、錨を揚げて西水道に向かった。(カモメ)外洋に出ると、戦艦武蔵に対して三本の魚雷が向かってきました。二本はよけたが、そのうちの魚雷一本が武蔵の艦首左舷に命中したのです。米国潜水艦タニーの雷撃でした。(ウツボ)ただちに反対舷に注水装置が働き、またたくまに、艦の安定は回復した。朝倉艦長は「安定度変わらず、二六ノット可能。艦首水線下の破口以外損傷なし」と司令部に報告した。(カモメ)司令部の命令で戦艦武蔵は修理のために呉に向かい、造船ドックに入渠しました。ドック内の調査では命中箇所は左舷の錨鎖庫の横で、水線下六メートルのところに直径五~六メートルの穴があいていました。(ウツボ)穴の外板は内側に食い入っていた。浸水量は二〇〇〇トンで、水中聴音機室員七名が浸水箇所で戦死した。負傷者は十一名だった。(カモメ)遺体は、ドック内の水が排出されると同時に海水とともに吐き出されました。水防区画の中で一箇所により固まり、白っぽくふやけてすでに激しい腐臭を放っていました。(ウツボ)船体の損傷は軽微で、突貫工事で瞬く間に修復を終えたが、その期間を利用して、空からの攻撃に備えるため、対空兵装の大強化をはかることになった。(カモメ)まず、二、三番副砲塔(計六門)を取り外し、代わりに、九十一挺という多量の二十五ミリ機銃を備え付けたのです。艦上は遠くから見ると針の山のように変貌したのです。(ウツボ)さらにアメリカ海軍に悩まされつづけてきたレーダーを四基加えて計五基備え付けた。修復と装備強化は順調に進められた。(カモメ)ところが昭和十九年三月三十一日、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将が飛行艇、二式大艇二機で出ミンダナオ島のダバオへ移動中、低気圧に遭遇し、古賀司令長官が乗った一番機が行方不明になった。(クマノミ)これが「海軍乙事件」ですね。(カモメ)クマノミさん、珍しく、「乙なこと」を言いましたね。(クマノミ)やっと少し勉強したことが、発揮できました……駄洒落ですか?(カモメ)面白くないですね…。では、「海軍甲事件」は、どんな事件ですか?(クマノミ)前に出てきました。山本五十六長官の搭乗機が撃墜された事件です。(ウツボ)そうだね。クマノミさん、よく勉強しましたね。(クマノミ)ありがとうございます。(ウツボ)「海軍乙事件」では、二番機はセブ島沖に不時着し、福留参謀長らはゲリラの捕虜になった。その後日本軍守備隊により福留参謀長らはゲリラから解放された。(カモメ)だが、三月に作成されたばかりの「新作戦計画書」や暗号書などの機密書類がゲリラに奪われ、アメリカ軍に渡りました。アメリカ陸軍情報部はこれを解読、各艦隊に回送しました。(ウツボ)そうだね。それを、その後の海戦で、米軍は有利な情報として活用した。