266.三式戦『飛燕』空戦記録(6)虎のような勇猛果敢さと、豹のような敏捷さと、狐のような狡猾さが必要だ
(カモメ)中沢中隊長の指示が入ってきました。「相手は『P-40』(戦闘機)だ。うまくハマリやがった。やつら、四マルでアップアップしている。いいか、『A-20』(双発攻撃機)は捨てろ、かまうな。『P-40』だけを喰え。これだけ『A-20』にこられたんじゃ、お船は助けようがない」。(ウツボ)続いて「三マルから下へはゆくな。『P-40』を吊り上げろ」と小沢中隊長は指示した。中隊一二機は三機が一コ小隊で、四コ小隊から編成されていた。(カモメ)独立飛行第一〇三中隊は三機編成の小隊ですが、他の部隊では、昭和十七年後半から、四機編隊の「ロッテ戦法」が用いられるようになっていましたね。(ウツボ)そうだね。これはドイツ空軍の戦法を日本陸軍が取り入れたもので、正確にはドイツでは、二機編隊を「ロッテ」、四機編隊を「シュヴァルム」と呼んでいるが、日本では四機編隊を「ロッテ」と呼んで取り入れた。(カモメ)中隊は三機と九機に分かれ時速六二〇キロで突っ込んでいきました。すると敵の『P-40』の編隊から八機が編隊を離れて、松本たちの九機の『三式戦』の方向に上昇旋回してきたのです。(ウツボ)「そら、またハマリやがった。あと少しの辛抱だ。落ち着けよ、落ち着けよ」と小沢中隊長の声が松本に届いた。(カモメ)高度はこちらが二〇〇〇高く、敵の編隊は二分し、上昇性能の悪い八機の敵機編隊が、旋回半径をとてつもなく大きくとりながら上昇してきたのです。これが小沢中隊長の「ハマリやがった」の意味なのですね。(ウツボ)敵機と対峙して、まさに決戦になる寸前の上空を回りあうという初めての経験に、松本は血が逆流するような不気味さを感じた。(カモメ)この時松本は、小沢中隊長に言われた次の様なことを思い出したのです。(ウツボ)読んでみよう。「対戦闘機戦闘はな、虎のような勇猛果敢さと、豹のような敏捷(びんしょう)さと、狐のような狡猾(こうかつ)さが必要だ。そして虎豹狐が三者三様に襲撃をするとき、独特の間をおいて行動に移る。この間が大切なんだ」。(カモメ)松本は「今の状況は、狐の狡猾さでじっくりと敵の動きや、乱れが起きるのを待っている間であろう」と考えたのです。(ウツボ)空中にポカッとオレンジ色の花が咲いた。続いて次々にオレンジや黄色の花が咲き始めた。駆逐艦から打ち上げる高射砲弾の炸裂だった。(カモメ)「海軍さんよ、どうした。高すぎる。ションベン弾、射ちやがる。よーしみんな聞け狙いは『P-40』だ。『A-20』は捨てろ」と小沢中隊長。(ウツボ)酸素マスクに松本の意気が音を立てている。排気弁がスカンスカンと鳴っている。これが聞き取れるのは極度の緊張の中にも、冷静さを失っていない証拠だった。(カモメ)不意に『A-20』の編隊が一斉に高度を下げ、三隊に分かれ、駆逐艦と輸送船に目標を定めました。そのとき「いまだ!最後尾の編隊に突っ込め!相手は『P-40』だ」と怒鳴るように小沢中隊長が指示しました。(ウツボ)小沢中隊長機は真っ先に半横転して機首を下げ、松本たちもそれに続いた。高度四五〇〇メートルあたりで空戦が開始された。(カモメ)四〇〇〇メートルから上になると、ガクンと速度が落ちる『P-40』と、六〇〇〇メートルまでは加給器を使わなくとも、第一速で思い通りに飛べる『三式戦』では、戦闘態勢は格段の差があったのですね。(ウツボ)そうだね。それでも、日本の戦闘機を爆撃隊に近づけぬため、『P-40』は逃げずに勇敢に向かってくるのだね。『P-40』は時速七〇〇キロで一杯、『三式戦』は時速八五〇キロでもまだ余裕があった。(カモメ)一五〇キロの差があれば、手を伸ばして掴まえられるほどの余裕がある訳ですね。(ウツボ)それはそうだよ。時速二〇キロの自転車に、時速一七〇キロのスポーツカーが追いつくのと同じだからね。(カモメ)さらに、この高度で水平戦になれば、旋回半径の差が歴然と優劣に現れてきますね。(ウツボ)そうだね。『P-40』は旋回に半径五〇〇メートルを必要とし、『三式戦』は空戦フラップを半開きでも垂直旋回の半径は三〇〇メートルだね。(カモメ)すごいですね。『三式戦』は敵機に尻につかれても、二回りすれば、逆に相手の尻に喰いつける、と記してあります。(ウツボ)垂直旋回は揚力が少なくなるから空戦フラップを出す。通常のフラップは、主翼後縁の下面が動き後ろに下がる装置で、これにより翼面積が増大し揚力が増大して、低速でも失速を防げる装置だね。(カモメ)それで、旅客機など飛行機の離着陸時にもフラップを下げていますね。フラップの上げ下げはスイッチで行いますね。(ウツボ)『隼』、『紫電改』、『飛燕』などは空戦フラップ(蝶型フラップ)を装備していた。空戦フラップは、スイッチを「自動」に切り替えれば、空戦中は飛び方に応じて自動でフラップが開いたり閉じたりする。旋回中は、空戦フラップにより、旋回性能が上がる。(カモメ)垂直旋回とは、七〇~九〇度バンクの旋回のことですね。三〇度バンク、四五度バンクの旋回では旋回半径が大きくなり不利なので空戦中は垂直旋回を行うときがあるのですね。