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カテゴリ:絵日記三昧
俳句の会などに参加していると・・・ なにか、心が落ち着かない。 碧い草原を駆けている別の自分の姿がうかんでくる。 血が騒ぐと言うより 太陽の下での至福の時を失ったのではないかという思い。 空しく過ぎ逝く、とりかえしのつかない時への喪失感。 そんな思いを描いたのが、この絵「遠い雲」 したがって、梅雨曇りのどんよりした日には、心が定まる。 山にも、テニスコートにも行かずに、 部屋に座って、やりたいことに、心おきなく専念できる。 最近なら・・・藤沢周平か、シルクロードの旅行記を読んだり、 録画した美の巨人やプロジェクトXを見たり、 あるいは、・・・・絵を描くことができる。 春先から、武蔵野美大の先生に絵を学んでいる。 自分の従来の描き方とは、根本から違う描き方。 これまでのは、これと決めた色合いで一気に仕上げていく描き方。 微妙な色合いが捉えられると修正せずとも、そこそこの絵にはなった。 しかし、出発点の色や形が間違っていると、到達点に限界がある。 これは、20代に描いた油絵「Flower in shadow」 武蔵野美大の先生の描き方は、破壊と創造の繰り返し。 僕の描きかけの絵をばっさり塗りつぶして、 全体のバランス、遠近感を重視して、対象の固有色にとらわれず、 勢いのあるタッチで方向を変える。 白い花も、くすんだねずみ色に変わったり、背景の色も全く変わる。 先生が手を加えた狙いがわかって、それを発展させると・・ 自分でも思いがけない絵が生まれ、厳しい先生の機嫌が少し良くなる。 そうやってようやく、「絵は見たままを描かず、画面で再構築するべし」 と言う当たり前のことをようやく体得しつつある。 油絵「パンジー」 さて、俳句は、著名な俳人すら、一日一句いいのができればいいほう。 僕の作った花の俳句で好きなのはこれだけ。 紫陽花や 小雨の庭の うすあかり 絵なら、3時間かけて花を描くと、なんらかの心の思いが一枚残る。 最近、俳句から遠ざかって、絵の専念している理由だが、 いずれも、過ぎゆく時を書き留めるための記録。 日々が空しくは過ぎてはいなかったと、 自分に言い聞かせる証しのようなもの。 花の絵は、気に入ったら小さくプリントし 小ぶりの額に入れてみてください。 どんな絵も、額に入れると・・・ 七五三の子供の写真。 見違える!ものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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