鎌倉を歩く5
ぶらり鎌倉一人旅 鶴岡八幡宮といえば源頼朝ですが、鶴岡八幡宮は源頼朝が鎌倉に幕府を開く100年以上も前の1063年に、頼朝の祖先源頼義が「源氏の氏神」である京都の「石清水八幡宮」を由比郷鶴岡に勧請したのがその始まりといわれています。そして、1180年鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、鎌倉幕府の武士による都市づくりの中心に据えたのが、この鶴岡八幡宮ということです。そういう意味では、武士が初めてつくった都の象徴でもあったわけです。【三の鳥居】入口に建てられている三の鳥居。三の鳥居は、1923年の関東大震災で倒壊するまでは、一の鳥居、二の鳥居とともに徳川四代将軍家綱によって1668年に寄進された石造鳥居でしたが、現在の鳥居は鉄筋コンクリート造です。 手前が舞殿でその奥にあるのが本宮(上宮)になります。この日は、大勢の人で賑わっていました。 【本宮(上宮)】重要文化財この大石段を上ると本宮です。ここは、應神天皇・比賣神・神功皇后をお祀りする当宮の中心となるご社殿で、国の重要文化財に指定されています。源頼朝がこの高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時でした。1192年には征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期でした。鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていました。以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われました。 本宮からは鎌倉の街を一望できます。このまっすぐな参道は若宮大路と呼ぶのですが、この参道の先には一の鳥居、そして由比ヶ浜があります。空気の澄んだ晴れた日には水平線や伊豆大島を見ることが出来るそうです。 三の鳥居の手前には、このように桜並木があります。そのシーズンには見事な花を咲かせるのでしょうね。ところで、ここは単なる桜並木ではありません。この参道若宮大路は、1182年源頼朝が妻政子の安産祈願のために造営させたと伝えられています。 これまで、曲がりくねっていた鶴岡八幡宮の社前の道をまっすぐにして、由比ヶ浜まで通じさせたということです。そして、その参道の中央に一段高く造られたのが「段葛」。若宮大路の造営と同じ時期に造られたそうです。若宮大路造営工事は、源頼朝が直接指揮したため、北条時政や畠山重忠などの有力御家人が携わったといわれています。造営当時は、鶴岡八幡宮から一の鳥居まで通じていたという段葛ですが、江戸時代には下馬までとなり、明治に入ると横須賀線開設にともなって二の鳥居までとなったそうです。現在の段葛は二の鳥居から三の鳥居までの約500mということです。越後の虎と呼ばれた長尾景虎(上杉謙信)は、1561年関東管領上杉憲政(山内上杉家)から上杉の家督と関東管領職を相続し、この鶴岡八幡宮で拝賀式を行っています。いずれにしても、鶴岡八幡宮は鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、後北条氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬されてきました。 《続く》