千の風にいやされて
■気になる本 - 千の風にいやされて -------------------------------------------------------- 人は 生きている のではない。 生かされて いるのである。 では、その主は、誰なのか? 私は、また新しいことを知りました。次の英文の詩を、みてくださいませ。(この本を読むまで、まったく知りませんでした)------I am a thousand winds Author Unknown(注意)原題にはタイトルもないといわれてます。Do not stand at my grave and weep; I am not there,I do not sleep.I am a thousand winds that blow.I am the diamond glints on snow.I am the sunlight on ripened grain. I am the gentle autumn's rain.When you awaken in the morning's hush, I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight.I am the soft stars that shine at night.Do not stand at my grave and cry; I am not there,I did not die.------(参考)grave 墓weep 泣く、涙を流す、泣いて悲しむsleep 眠る、寝る、永眠blow (風が)吹く 風で飛ぶ 風で動く 息を吹くglints きらめき ひらめきripened 熟した 実ったgrain 穀物 穀類gentle 優しい きびしくないawaken 目が覚めた 奮起したhush 黙らさせる 静かにするswift 早い 迅速なuplifting 持ち上げる 精神を高揚させるrush 急いでする 急にするquiet 静かな 平穏な くつろいだ やすらかなcircled 円 仲間 過去に、神道について、「しかし、日本古来の神道には、悪はありません。悪人はいたかもしれませんが、死亡すると、神になってしまうのです。そこのところが、神道のいいところです。」と述べました。(参考)日本人のための神道入門 そうなんです、死後のことなど、誰も知らないのです。落語にもありますが、あちら(彼岸)にいって戻ってきた人達はいなのですから。 だからかどうかわかりませんが、神道は、善人も悪人もこの実体世界から消えた場合には、みな同じと定義しているのです。 一方、六道というものをご存じでしょうか。天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道です。 これを唱えるのは仏教ですが、この六道を基底にして 「人間とはどういうふうに生きたらいいのか?」、 「人間は何をしたらいけないのか?」を考えていくのが仏教だと思うのです。ですが、この実体世界のあとを6つに分類しているところが、興味をそそります。その理由は、「いま」にあることも。(参考)梅原猛の授業 仏教 最近、「おくりびと」のDVDを見ました。いろいろな(自分の思考の中の)情景がでてきて、思わず、何回も泣いていました。こういう映画、感動を与えてくれる映画は、好きです。いま、「千の風にいやされて あとに残された人々は、悲しみをどうのりこえたか」(著者 佐保美恵子、監修 新井満、出版社 株式会社講談社、発行年月 2004年11月6日)を読みました。 著者等のプロフィールは、巻末にあります。------佐保 美恵子(さほ みえこ)ルポライター。1958年大分県生まれ。学習院大学文学部卒業後、ファッション雑誌編集者などを経て、1987年からフリーランスに。以降は、雑誌「AERA」、「コスモポリタン」などでルポルタージュを中心に活躍する。2004年10月からは、タイ・チェンマイに家族で移り住み、いのちのこと、子供の問題などを中心に、取材執筆活動を続けている。新井 満(あらい まん)作家、作詞作曲家、写真家、長野冬季オリンピック大会のイメージ監督など多方面で活躍中。日本ペンクラブ常務理事として平和や環境問題を担当している。画家に初挑戦した『月子』(PHP研究所)によって絵本画家にもなった。1946年新潟生まれ。上智大学法学部を卒業後、電通に入社。現在は、チーフ・プロデューサー。小説家としては、1988年に『尋ね人の時間』(文芸春秋)で芥川賞を受賞している。----- 著者の本までの経緯は次の通りです。1977年のある故人の追悼文集「千の風になって」という本を見た新井満氏が、興味をもち原題を調査し、自ら訳し、曲をつけて私家盤CDとして喪主に届け、その後写真集、音楽CDとして2003年に発売された後のものです。 1749名の読者ハガキを返送してくれた方々の中からおもだった人に、詳細な取材をして、その方々の生きざまやその人の悲しみを綴ったものです。 著者は、「千の風になって」という本を読んだ方々に対しての返信というスタイルをとっています。ですから、報告形式なのですが、それが、また、私の感情の源泉を刺激したのです。 そもそも、歌の「千の風になって」という作詩に、これほどの方がかかわっていたなんて知らなかったし、また、その背景がこんなにも深いものかというのが、今回の読書でしりました。 「知らない」っていうのは、ある意味、恐ろしさ知らずですね。勿論、いい歌だとは思います。NHK紅白でも歌われていましたし。 この本は、読者ハガキで返信してきた11名の方をピックアップして、実際に取材をして、本にしてくれています。 一般の方々が取材対象になっているからか、自分の背丈のレベルですので、すんなりと読めるのです。 ある人は、NHKのラジオを聞いて知り、ある人は、朝日新聞の天声人語を読んで知ったのです。 年齢は多彩です。8歳から72歳の方がおりますので。 この本は、人生を終えられた人が対象ではなく、残された人が対象です。でも、人生って、死んで終わり?そういう疑問の人もいます。 過去に読んだ本の高齢者の悲哀の過程を思い出しました。(参考)高齢者の喪失体験と再生----- (人生の)悲哀の課程は、イギリスの精神分析医であるJ・ボウルビーによると、4段階があるといいます。第一段階・・・無感覚。突然の身近な人の死や事故や災害による 死に遭遇した直後などにみられるショック状態、あるいは、 茫然自失の状態。第二段階・・・失われた対策を取り戻そうとする衝動。 失ったこと(死)を受け入れることができない状態で、その 心理的な反応はさまざまな形(啼泣、耐える、攻撃的)をとる。第三段階・・・絶望と抑うつ。失ったものはもはや戻ってこないと 受け入れて悲しみに沈む段階である。失った辛い現実を認めて 深い諦めや思い出にひたって引きこもったり、無気力になったり 抑うつ的な気分に襲われる。自責の念にとらわれる場合もある。第四段階・・・離脱。失った悲しみから立ち直って、残されたもの として新しい生活への適応をはかるようになる。再構成と再適応 が課題になる。------ この著者の本にでてくる11人の人達の話は、J・ボウルビーの第三段階から第四段階への移行の過程で生ずる葛藤を著しているのではないかな とふと思ったのです。 監修の新井満氏が訳したのは、次の歌詞です。もう、みなさま、ご存じでしょう。---- 日本語詩「千の風になって」 作者不明 日本語詩 新井満 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 秋には光になって 畑にふりそそぐ冬はダイヤのように きらめく雪になる朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 死んでなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 千の風に 千の風になってあの 大きな空を 吹きわたっていますあの 大きな空を 吹きわたっています------ あらためてこの詩を読んで、世界の中の「一神教」である「アニミズムの復権」を思い出しました。(参考)一神教の闇 アニミズムの復権 そうです、日本人は、草木や路傍の石に対しても心(命)を見いだすのです。こんな種族は、世界中をみてもあまりおりません。誇りをもっていいと思います。 だから、人のために尽くすことができる人が多いのです。その気持ちを、同じ民族ならわかってくださいませ。 決して、西欧の、対立の(善と悪とか)の構図には、染まらないでくださいませ。 どんな人でも、その人のいいところがありますし、どうしても悪魔に思えるような人には、近寄らないほうがいいのでしょうね。自然に淘汰されますから。 この本は非常に読みやすいわりには、心の糸を震わせてくれます。もし、学校で道徳教育みたいな趣旨の授業を考えているのなら、この本をテキストとすることをお勧めします。 いいえ、中学生以上でしたら、なんなく読めることでしょう。しかも、ヒットしている歌ですから。そこから、他人の人生に対して考えを巡り合わせてめてほしいものです。 私は、人生とは、生涯学問(問いて学ぶ)で、決して強いて勉める(勉強)ものではないと思っております。(2/17)千の風にいやされて