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戦国ジジイ・りりのブログ

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2011年11月13日
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稲葉地城 愛知県名古屋市中村区城屋敷4-10>(住所をクリックするとMapfanにリンクします。)


稲葉地城跡は現在は神明社となっている。
遺構はない。

       神明社

この城は信秀様の弟・津田信光の築城によるとされている。
信光は、信長様の伯父にあたる方じゃな。
また、小豆坂七本槍の一人でもある。

なんでも、織田家では嫡流のお家以外は織田を名乗ることを
許されなかったため、信光は織田の前の古い名字である
津田姓を名乗ったとも言われておるようだが、シロートは

「え~っ、信秀様にも信長様にも、織田を名乗る弟たちなんて
いっぱいいるじゃ~ん?」


とか思っちゃうんだけど・・・
よくわからん。

独立した一家系を与えられた場合に、って意味なのかな?

あるいは、織田家は信秀様以降爆発的な飛躍を遂げたから、
尾張の守護代のイチ奉行であった頃までは、
そんなしきたりがあったってことなのか?

ただ、本家以外の織田家は、書面では
姓を織田ではなく津田と表記することが多いらしい。
織田さんちは主家が入れ替わってるから、
あんまりよくわかってないみたいだけど・・・


伯父様の城ではあるが、信長様もこの城に来ておられる。
それが、海津の合戦。

天文12年(1553)清州勢に奪われた
那古野城西方の深田城と松葉城奪回のためこの城に入り、
信光と共に稲葉地城の北で合戦。
めでたく奪回に成功したと。

深田城・松葉城は現・海部郡にあった城。

天文24年(1555)4月、信光は清州織田家より乞われ清州城に入るが、
これは既に信長様と示しあわせていた事であり、
信光は守護代・織田信友を切腹へと追い込む。

この功により信光は那古野城を得る。

清州織田家からは褒章として守護代待遇を提示されていたらしい。

同年11月、信光、家臣に殺害される。
が、これは実は信長様の謀略とする説もある。

信光が清州城に入った際、曲がりなりにも一旦は
織田信友へ従うという起請文を書いたのに、
それを裏切ったんだから、天罰だよ~なんて噂も当時はあったらしい。


津田氏の三代・与三郎は桶狭間で戦死、
四代・小藤次も本能寺で討ち死にし、
以後は廃城となった。


「稲葉地城後」の石碑の側面には
「織田信長伯父津田豊後守居城」とある。

      稲葉地城址碑2

夕方だったせいもあるかもしれないけど、
誰もいない。

閑静な住宅街の中にある神社に一人たたずんで、
織田家のゴタゴタの頃の喧騒を、ただぼんやりと想像する。

そんな物好きなジジイがいたことを、
知っていたのは神馬だけ。

      神馬

「武将都市ナゴヤ(5)」の途中へ続きます。

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最終更新日  2017年01月31日 23時18分19秒
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