カテゴリ:城(九州)
東明寺城<北九州市門司区東門司2丁目 >
※「赤間ヶ関編(38)」からの続きです。 はじめにお断りしておきますが、城跡へは辿りつけませんでした。 しかし、とにかく事前にネットで得られる情報が少なかったので、 次に行かれる方の参考になることがあるかもしれないし、 これも旅の記録のひとつなので、あえて城の記事として書いておきます。 東明寺城(とうみょうじじょう)は、永禄2年(1559)大友氏が 門司城攻めの向城として築いたものといわれ、 門司城攻略後はその出城となったという。 またその一方で、大友氏の侵攻に対抗する為に門司城主・仁保帯刀の端城として 大内氏が築いたという説もある。 あまり詳しいことはわかってないみたいだけど、どっちにせよ、 門司城のところで書いた、ソーリンの門司城攻めに絡んでの 築城ってカンジ?(←大ざっぱ) 門司図書館で調べた本には次のように書いてあった。 【旧門司小学校と旧左司小学校にまたがる東明寺山の山頂にあり。 東西十五米南北十八米あって周りに腰曲輪を配し、北に二の曲輪、三の曲輪と 梯郭式の縄張りで、中世の掻き上げ城の遺構をよく留めている。 この地は、旧門司小学校の林間公園と市の公園になっており、大手跡と思われる 公園入口から等妙寺の参道が山頂に通じ、参道横に僧坊跡と思われる 平地が残っている。】 (『門司・小倉の古城史(改訂 企救郡古城址取調簿)』八木田謙/著より) 掻き上げ(揚げ)城とは、文字通り土をかきあげてお手軽に作り上げた城。 さて、ケータイのナビウォークに従って、まず目指したのは東明寺(地図はこちら)。 そんなに大きなお寺じゃない。 山からもちょっと離れてるし、やっぱりここは違ったか・・・ どの山が城跡かはわかってるんだけどね、登り口がはっきりわからないんだよな~。 ところで東明寺さんのホームページには、次のように由緒が書いてある。 【その昔、当山は戦国時代から天台宗東明寺として広大なる境内地を有し、 大伽藍の完備した寺院があったという。古い文献にもその名前は登場し、 かなり大きな寺であったらしい。しかし、いつの頃か焼失遂には廃寺となり、 その名を留めるだけであった。 史料にも「東明ヶ丘」「東明寺城」等の名が見られる。(後略)】 どうやら、往時の東明寺はこことは違う場所にあったらしい。 先述の『門司・小倉の古城史』にも、 【正任記・・・文明10年(1478)応仁の乱から帰った(大内)政弘は豊前・筑前の 少弐勢を追討。門司等妙寺と門司宝寿寺は両国平定の祝儀を政弘に送っている。 東明寺は楠原系門司氏の菩提寺として存在したと考えられる。】 (カッコ内は戦国ジジイが追加) とある。 等妙寺は東明寺のことだよね。 門司氏の菩提寺の可能性もあるということだし、やっぱり大きな寺院だったんだ。 門司氏が戦国大名として存続してたら、 東明寺の運命ももう少し違っていたものだったかも・・・ しかし、しみじみしてる場合じゃない。 『門司・小倉の古城史』に小学校がどーのと書いてあったので、 この近くの小学校(場所はこちら)に行ってみることにする。 東明寺を出ると、お寺の外側にはこんなお地蔵様?と坊様の像があった。 あ~、いるよね~、こーゆー顔の人って・・・ 妙なリアルさに、思わず写真を撮ってしまうワタシ。 小学校の先には上に上がっていく道があったので登ってみるけど、 そのうち「李鴻章通」をもしのぐような細道になっていったので、 不安になって途中で諦めた。 でも帰って他の地図を見てたら、もうちょっとで大手にあたる公園入口に 辿りつけたみたい。 惜しかったなあ~! ※Mapionの地図に載ってる竜門町公園のリンクはこちら。 主郭は頂部にあって、その西下に二の丸、二の丸の北下に三の丸。 そして本丸の西側には二の丸に通じる道が残っているという。 山頂には妙見堂があったが、戦時中に荒廃してしまったらしい。 公園や市街地整備の際にかなりの遺構が破壊されてしまったようで、 先人の記録を見るとほとんど遺構は残っていないといっていい位な感じかも。 ひとまずまだ諦めない私は、山を1/4ほど回り込んだ地点まで移動。 元々はこちらが本命だった。 途中にあったお寺は「東明山大雄寺」(場所はこちら)。 いちおう中に入ってみるけど、山に通じそうな道はない。 大雄寺を出て歩き出すと、こんな感じの山道。 上がりきったところにあるのが大師寺(場所は こちら )。 事前の段階で、なんとなくここから登るのかと思ってたのでウロウロしてみるけど、 山に行く道はない。 相当疲れたし、まだ次があるので、残念だけど仕方ない。 東明寺城は今回は諦め! いや~、山登りしてた頃から「イナカを甘く見てはいかん」と思ってたので それなりに準備はしたつもりだったけど、やっぱり甘かったな。 この後行く三角山城もそうだけど、 今まで行った城の中で最も情報の少ない城だったので、 地方の超マイナーな山城に行くのは考えものかな・・・とも思った。 でも振り返ってみると、まだまだ準備に改善すべき点があることがわかった。 登城に失敗したのは初めてだったけど、まあいい経験をしたと今は思います。 ※「三角山城」の記事へと続きます。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年12月02日 23時13分28秒
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