カテゴリ:旅日記(近畿)
一旦、鳳凰堂の左手に回り込んだら、六角のあずまやがあった。
柱に貫(横材)を通した穴が開いてる・・・ どこかの部材を転用したのかな。 それとも、構造を変えたのかな。 この辺からは、翼廊がより近くに見える。 あ~スバラシイ・・・ 平等院のホームページには、 【華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、 このうえなく貴重な建築です。】 とまで書いてあるし。 なんたって、お金の絵柄になってるくらいだもんね~。 実物は↓こちら。 平等院ができるまでの簡単な略歴は「大津編(25)」に書いたけど、 藤原頼通が唐突に別荘を寺にしたのは、それなりの時代背景があってのことだった。 平等院の開創は永承7年(1052)。 お釈迦様の入滅から2,000年が過ぎたら、 その後の1万年は「末法」の時代だよ~って言われていて、 この治承7年が末法のスタートの年にあたると考えられていた。 京都では飢饉などが起こり、平等院開創の前年には前九年の役が始まるという、 いかにもアヤシゲな世相。 そんな中、極楽浄土の主である阿弥陀様におすがりしようと 貴族達はこぞって阿弥陀如来像を建立したという。 藤原頼通もその例にもれず、平等院開創の翌年には阿弥陀堂を建立。 これが現在「鳳凰堂」と呼ばれているもの。 ただ、鳳凰堂という呼び名は江戸期からなんだそうな。 阿弥陀堂は東を向いて立つ。 参拝者は池を挟んでお堂の中の阿弥陀様を西に見る形になる。 池のこちらは此岸(しがん。この世)、池の向こうは彼岸(あの世)。 でも向こうにいるのは阿弥陀様だから、ただの彼岸じゃなく そこは極楽浄土。 暗くて見えづらいと思うけど、正面の屋根は一段高くなっていて、 上部にかかる格子には丸窓が開けられている(四角で囲った部分)。 この仕掛けにより、池のこちら側からでも阿弥陀様を見られる 構造になっている。 平安時代の歴史書「扶桑略記」には、 極楽不審久者宇治乃御寺乎礼へ (ごくらくいぶかしくば うじのみてらをうやまえ) と書かれている。現代風に言うと、 極楽を知りたかったら、平等院へ行ったらいいよ~ みたいな(笑)。 まさにここは、極楽浄土の世界だった。 治暦4年(1068年)に引退した頼通は、晩年を宇治で過ごす。 実に82歳の長寿を全うしたのだから、恐るべき浄土パワー(笑)。 とは言っても、最後の最後には財産もごっそり奪われ、 ここ平等院しか手元に残らなかったともいうので、 世の栄枯盛衰をイヤというほど味わった人でもある。 さて、ここでまた戻って、次の回の内部拝観に並ぶ。 鳳凰堂の中は撮影禁止。 かなりきちきちに参加者が入った後で、説明が始まる。 中におわすのは、大きな阿弥陀如来様(国宝)。 特別拝観では、阿弥陀様の額の白毫(びゃくごう)の話とか、色んな話が聞ける。 壁には雲に乗った菩薩像が52体。これも国宝。 扉10面、壁4面には絵が描かれており、これも国宝。 描かれた絵自体も、絵画部門での国宝。 国宝を沢山おさめた鳳凰堂自体も、これまた国宝。 そんな説明を聞きながらも、建築そのものに興味津々できょろきょろ・・・ 沢山の説明があったあとで、次の回との入れ替え。 お話はすごく良かったけど、自分のペースで心ゆくまで見られないのが 残念・・・ 鳳凰堂の拝観の後で、今度は最勝院へ。 境内にはこれがある。 【春日型 石灯籠 一基 鎌倉時代・13世紀 総高2.5 台座幅90.0 石灯籠は、灯火器を仏教の伝来につれて発展させた我が国独自の灯明器で、春日型は 藤原家氏神として繁栄した春日大社参道に寄贈された一連のものをいう。 本作は、随所に平安王朝の美意識の残映をとどめ、姿は優美秀麗、全体のバランスに 破綻がない。擬宝珠には4枚の華を配す。灯籠の各部に欠失がなく、当初材が完存する 鎌倉時代初期唯一の遺品である。】 (現地解説板より) なんだか、すごいなあ・・・ 灯籠のことは全然わからないから、遠巻きにしか見なかったけど。 その奥にあるのが、こちら。 【源三位頼政の墓 源三位頼政、平清盛の横暴を憤り 高倉宮以仁王の令旨を奉じ平家打倒の義兵を挙ぐ。 治承4年(西暦1180)5月26日 頼政三井寺の僧兵と共に宇治に在り。 平知盛 大軍を率いて宇治に迫る。頼政衆寡敵せず大敗す。頼政平等院境内において 自刃す。時に頼政76歳の老齢なり。】 (現地解説板より) はい、もうおわかりかと思いますが、今日は頼政のお墓参りに来たんですう~。 ここで、昨日買った数珠をいそいそと取り出し、 手にかけようとしたところ、ぽろりと落とした。 ああっ、私の大事な紫檀の数珠が・・・!! 墓の入り口にはチェーンが掛けられてるので、 墓まで最大限近づくことはできない。 ので、少し離れたところから手を合わせて頼政にごあいさつ。 三井寺で買った数珠を頼政の墓でおろすってのも、両者の縁を考えれば ちょっと感慨深いものがあるよな~。 さて、これで平等院でのお目当ては済んだ。 あとは、梵鐘とかがあるミュージアムをさらっと見てと。 ミュージアムは近代的な建物になっていて、 だいぶ時間も押してきてたので歩きながらすら~と見るつもりだったけど・・・ ここの展示物が、これまたすごかった。 まず、梵鐘は「大津編(22)」に書いた通り、 「姿の平等院」として日本三名鐘のひとつ。 かなり細かく色んな紋様が施されてて、その名に違わぬ美しさ。 こんなの、初めて見た~。 保存の観点からオリジナルがミュージアムにあって 外の鐘楼にはコピーがかけられてるって事だったけど、 そのおかげで間近にこの名鐘を拝むことができる。 平等院のホームページにはこの鐘の写真が載ってますので、 見たことない方は是非ご覧ください。 撞いたら紋様がダメになるだろって思わずツッコミを入れたくなるような、 実に美しい鐘です。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月02日 21時40分18秒
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