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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月04日
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カテゴリ:江戸めぐり
では、大黒神社本殿のご紹介。


      駒込・大黒神社11



鉄筋造りだけど形式に則っていっちょまえに蟇股がある↓。


      駒込・大黒神社12



      駒込・大黒神社13



アハハハ、ここ、打出の小槌尽くしだ~上向き矢印  


      駒込・大黒神社14



      駒込・大黒神社15



まあ、建物自体はご覧の通りなので特筆すべきものはありませんが・・・
しょうがないよね。
で、早速ここでおみくじをひいてった。


さて・・・染井霊園へ行くにはこのまま東へ向かうんだけど、
気持ち回り道をして本郷通りを北へ。


本郷通りが広いのでつられてぼんやり歩いてったら、
うっかり曲がるべきところを通り過ぎてしまった。
あわてて引き返したら、通り沿いには道標が建っていた↓。


      駒込・妙義神社



これに従って細い道を上がっていくと、ずっと奥に次のお目当て、
妙義神社があった(場所はこちら)。


      駒込・妙義神社2



ここにはこんな碑がある↓。
ちょっと全文は読めないんだけど、右から2つ目の石には
「寛政6年」(1794)とある。


      駒込・妙義神社6


境内には、神社の縁起が書いてある。
ちょっと長いですが、歴史ある場所ですので全文をご紹介しましょう。


 【妙義神社

  当社の祭神は、高御産霊神(たかみむすびのかみ)・日本武尊(やまとたけるの
  みこと)・神功皇后・応神天皇である。文政11年(1828)に成立した
  『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、
  のち白雉2年(651)5月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、
  区内最古の神社ということになる。

  くだって文明3年(1471)5月、足利成氏(しげうじ)との戦いを前にした
  太田道灌(どうかん)は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。
  その際、「雲払ふ 此神垣(かみがき)の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは
  成氏を敗走させたという。

  続いて道灌は、文明9年の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同11年の
  千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。

  こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。
  その一方で、大永年間(1521~27)には江戸城代遠山丹波守が、また
  永禄12年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間
  (1573~91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰退するなど、
  当社にとって戦国時代は波乱の時期でもあった。

  境内には、寛永19年(1642)11月に駒込村の農民によって建立された
  庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。】 
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換) 


ふう・・・・・・・・・下向き矢印

前回のシリーズ、東西条編で何度も「安芸の歴史は複雑です」と書きましたが、
同じ室町後期~戦国時代の関東も、ハンパなく複雑です。

とにかく、「公方」というお方を中心に、
現在の関東全域でスケールのデカい戦いが繰り広げられてましたので。

私が安芸の歴史を複雑だと感じるのは、沢山いるマイナーな国人衆のことを
満足に把握してないせいもある。

が、そうした個人的な事情を差し引くと、
安芸は確かに複雑だけど、たぶんこの関東全域で展開された戦い・・・
特に道灌さんの周辺の方が、もっと複雑ではないかと思う。
「複雑」よりは「厄介」の方がしっくりくるかな?(笑)
いや、厄介なのは「公方」の存在なんだけどね。

とにかくも~、なんつーか・・・涙ぽろり


いへ、泣きごとはやめましょう。
地道に頑張ります。
なんたってその辺は、私にとっては郷土史に関わってくるのだ。

「千葉なのに、なんで郷土史?」

って思うでしょ?

来てるんですよ、うちの近くに。
道灌さんが。


解説にある文明11年(1479)の千葉孝胤攻略、
これは臼井城(千葉県佐倉市)攻めのことを言ってるんだと思うんだよね。

孝胤が臼井城に籠城する原因となった戦いが前年の文明10年にありまして、
その合戦がうちの近くで行われたんです。
道灌さんが由来とされる地名も残ってます。

ま、それについては別のところでね。
もっとちゃんと勉強しないと・・・(笑)。


太田道灌といえば、江戸城を築いた方として有名ですが、
私にはそうした縁もあり、ろくに知りもしない近隣の武将よりは
よっぽど親しみがあります。
(いや、ホントは単に勉強してないだけなんだけどあっかんべー

なので、ちょうど染井霊園の近くでもあったし、
道灌さんのゆかりということで今回ここを訪れました。



さて、こちらが境内↓。


      駒込・妙義神社8


右の手前に見えてるのが手水舎。
その奥に社務所らしいのがあった。

上の解説に「戦勝の宮」と呼ばれたとあるように、
こちらでは道灌さんの勝守りを扱ってるということだった。
普段なら別に勝守りはいらないんだけど、道灌の勝守りとなれば、
これは是非とも欲しいと思っていた。

・・・が、社務所は閉まっている。
代わりに貼り紙があって、勝守りは500円とある。
ふむふむ。

その隣の紙には、

 【神社にご用の方は午前中にご来社かお電話下さい。】

とある。


・・・いちおう、午前中なんだけど。
土日は休みなのかな?
ともかく、ここは電話で予約しておく方が確実らしい。

本日のメーンエベント(墓参り)がまだだから、
あまりゆっくりしてる訳にもいかないしな・・・
仕方ない、縁がなかったと諦めよう。


手水鉢の水は綺麗だったので、まずはお清めをしてっと。


      駒込・妙義神社10



龍の口から水が出てるんだけどね、どっちかってーと

「この水、うんめ~!!」

って喜んで飲んでる風に見えて、ちょっとおかしかった。
この龍、やけにまつ毛長いし泣き笑い


で、本殿へお参り。


      駒込・妙義神社12



      駒込・妙義神社13-2



おお~!こんなとこに小早か・・・いへ、左三つ巴が。


      駒込・妙義神社16



再建だからね、鉄筋で味気ないのはしょうがないッス。

ちゃんと道灌さんのゆかりを示す碑もある↓。


      駒込・妙義神社15



境内は広くはないけど、この一角だけは木も立派で、
静かでいい雰囲気。


      駒込・妙義神社14


「新編武蔵風土記稿」による、かつての社宝は

 【刀一腰、菊一文字の作と云、錆て銘字読へからす、菖蒲作りなり長さ三尺二寸
  太田道灌寄附すと云。
  木印一顆。八角面径一寸五分松蔭印と云傳ふ、印文滅して読へからす、
  相傳ふ観應年中護国親王寄附せらると、護国は宗良親王の御事にて
  守邦親王にはあらすと云。
 
  尊意僧正像一体。運慶の作と云長二寸八分、右手に羽扇を持左手に念珠を掛け、
  脊に翼あり、天満宮社傳曰法性坊尊意僧正は、延暦寺十三代の座主にて
  菅公祈の師なりと。

  千手観音像。木像なり、長二寸、文明年中太田道灌戦陣に臨まんとして、
  僧圓勧宥鎮二人に修法を命せし時の本尊なりと云作しらず。
  曲玉十六顆。

  鏡一面。圓鏡径三寸六分に和歌を刻す、増鏡掛てそ頼む神風の吹起すへき
  名をも家をも、三楽斎とある、させる古物ともみえず。
  板碑一枚。長八寸余の断碑なり、暦應□□□八月日白鳥宮と彫る、是恐らくは
  後人のものせしなるへし。】


最後から2つめの鏡、三楽斎って資正(すけまさ)のことだよねえ。
太田さんだもんねえ。

道灌奉納の品は、江戸時代まではあったんだそうな。


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最終更新日  2014年01月04日 21時12分54秒


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