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戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月04日
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カテゴリ:柏の史跡・寺社
では社殿の方に移ります。
こちらが社殿の前にある灯篭↓。


      八坂神社19


銘は【天保七丙申年六月吉日】とある。

氏神様といえど、知識も関心もなかった頃のわたくしにとってはここは
「ただの小さな神社」で、はっきり江戸期のものとわかる遺物がここにあったなんて
知る由もなく、自然と史跡めぐりモードに入っていく。

火袋の部分にこーゆーボタンホールみたいな意匠があしらわれてるのは、
江戸の寺でもいくつか見たよな。
「プチ日暮里編(12)」など)

社殿の向って右側には現代風な建物がある。
前回紹介した社殿再建の記念碑の最後には宮司さんの名前もあったものの、
実際には宮司さんが常駐している訳でもないので、これを社務所と呼ぶのかは疑問だけど、
その前にも灯篭がある↓。


      八坂神社20


こちらも銘は社殿前の灯篭と同じ。
この2つはよく似てるから、セットで奉納されたものかな。


こちらが社殿↓。


      八坂神社22



一見味気ない現代風の建物だけど、「こんにちわ~」の御挨拶をしてから
社殿の観察に入ると、


      八坂神社23



      八坂神社24



      八坂神社25


あれま、意外に立派でねえの~!猫  
脇へ回って奥にある本殿を見に行く↓。


      八坂神社44



      八坂神社45



      八坂神社47



      八坂神社48



      八坂神社49



      八坂神社50



      八坂神社54



      八坂神社55



      八坂神社56

小早川紋がいっぱいで実に嬉しい限り・・・
(※左三つ巴は八坂神社の紋です)

社殿の向かって右側面はこうなっていた↓。


      八坂神社27


ただ朽ちていくのを待っているような、ほとんど忘れられたような石塔たち・・・
以前のわたくしならこれに近寄ろうとは確実に思わなかったでしょうが、
もちろんこの時は興味津々でひとつひとつ見ていきました。


      八坂神社26


【日枝●●】

「日枝大神」とでもあったのかな。 
本社はもちろん『叡山攻め』でも少し出てくる比叡山麓の日吉神社で、
全国的にどの程度の分布があるのかは知らないけど、
結構関東には日枝神社は多い。
歴史的な観点からいえばおそらく天台宗寺院の発展とともに
日吉山王信仰も広がっていったんだと思うけど、
これの銘には【明治四十一年十月廿日】とあるから、近代に入ってからの勧請らしい。
この場合は摂社といっていいんだよな。


      八坂神社28


【粟嶋大●●】

「粟嶋大明神」てところかな。

「あわしまさん」をわたくしが初めて知ったのはミワラの寺社めぐりの成就寺で、
耳慣れない神様だったので西の方で強い神様なのかと思った。
けど、関東でもそれなりにあるみたいね。

これも摂社だろうけど、一度ぽっきり折れたものを修復してるな。

『柏市史』によると、明治41年7月に【少名彦命を祀る淡嶋大神を合祀した】とある。
が、側面の銘は【文化三年正月吉日】。
文化3年は1806年。
それほど古いものでもないのに、全体的に破損が著しい。

この写真を撮ったのは一昨年のことで、その時は「まあ古いものだから」
ぐらいにしか思わなかった。

が、先日の諏訪神社の記事で庚申塔の写真を紹介した際、
「にほんブログ村」の同じサブカテのメンバー様で「地誌のはざまに」という
高度な歴史ブログを展開なさっているkanageohis1964様からコメントをいただきまして、
神奈川あたりでは廃仏毀釈で破壊された痕跡のある庚申塔が多いんだそうな。

身近な場所での廃仏毀釈のことなんて考えたこともなかったので、
そのご教示によってひとつ新たな観点が増えた訳だけど、
実は諏訪神社の社殿の裏手の石塔群の中にはぽっきり折れてるものもありましてね↓


       CIMG1911


これも廃仏毀釈の影響なのかはわかりませんが、
八坂神社内のあわしまさんは上の写真の庚申塔よりももっと厚みがある。
瓦1枚を割るのだって空手家が「はあああ~」と気合を込めるぐらいなのに、
横綱が渾身の力を込めて石祠にぶつかったところで、
こんな風に折れるもんじゃないだろうと思う。
石祠ごと倒れるのがせいぜいのところじゃないか?

ので、記事を書く段になって写真を眺めているうちに
どうも作為的なものが感じられるように思われてきたのですが、
それにしてもしっくりこない点はある。
だって、あわしまさんて「神」でしょ?

神社に神様があるのは別におかしくはないし、
廃仏毀釈でターゲットになる必要性はないように思うんだけど・・・
考えられるのは、もとは八坂神社内ではなく龍光寺の方にあったか。
それだったらまだわかるけど、壊したものを修繕して八坂神社に移すぐらいなら
初めっからあわしまさんを引っ越しさせておけばいいんじゃ・・・

ここでちょっと仲良しのウィキペディアさんに相談してみました。
したら、「淡島神」は

 【和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社を総本社とする全国の淡島神社や淡路神社の祭神で
  あるが、多くの神社では明治の神仏分離などにより少彦名神等に置き変えられている。】

という。
そもそもの「淡島神」についてもいくつかの説があるらしい。

少彦名命(すくなひこなのみこと)は日本神話に登場する神で、
過去の記事では大己貴命(おおなむちのみこと)とのウンコバトルを紹介してますが、
スクナヒコナだったら別に問題はない。
が、明治以降に多くのあわしまさんで祭神をスクナヒコナに置き換えたのなら、
近世以前は別の神様として信仰されていた方が多かったのだろう。

じゃ、ウィキペディアが教えてくれるスクナヒコナ以外の説はどんなかとゆーと

 ・日本神話に登場する「淡島」が淡島神であるとする説。
 ・住吉明神の后神であるとする説で、淡島は天照大神の6番目の御子神。
 ・婆利塞女(ばりさいじょ)説。

2番目と3番目は女神ということになる。
ウィキによると婆利塞女も結局は住吉明神に嫁いだということになっていて、
女神はどちらも結婚後に婦人科の病気にかかり、婦人病の人を救うという誓いを立てたとか
自ら形代(かたしろ)を作って病気を治したとかってエピソードがある。
ミワラの成就寺であわしまさんを「女性の守り神」と解説していたのは
ここから来ていると思われる。

ただね、婆利塞女は牛頭天王が親切な世話好きのハトさんに連れられて
めでたくゲットできた
、牛頭天王の妃だとも言うんだよね。
リンク先の記事では「婆利采女」という表記になってますが。
牛頭天王の妃を採用すれば、仏教系とも言える訳か・・・

淡島神は「淡島明神」とも呼ばれるけど、「明神」は神だよな。
吉田神道でも大明神号を使ってたんだしな。
日本神話の神とはちょっと毛色が違うイメージがあるけど、でも神だよな・・・

でまた、ウィキという名の友達に聞いてみると、まず最初にどーんと

 【明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。】

とある。
え、仏教的?
さらに教えを請うと、

 【本地垂迹説の勃興により、これら大明神が日本の民を救済するために現れた仏教の仏の
  化身であると考えられるようになった。(中略)この認識は広まり、大明神号は仏教と
  関連していると考えられるようになった。】

という。
そうか、神は神でも、本地垂迹の余地があるとNGなんだな。
であれば、江戸期から八坂神社にあわしまさんがあったとしても
ターゲットになった可能性は充分にあったってことだ。

酒井根の村人たちがあわしまさんをどういう神様として捉えていたかはわからない。
けど、おそらく他の例にもれずスクナヒコナ以外の神として崇めていたのだろう。
『柏市史』に書かれた「明治41年7月に少名彦命を祀る淡嶋大神を合祀」という内容は、
破壊されて打ち捨てられていた石祠を悼んだ村人たちによって
祭神をスクナヒコナに変更して祠を修復して安置した歴史を言っているのかもしれないと
思った。


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最終更新日  2015年04月04日 22時18分13秒
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