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戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月02日
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カテゴリ:旅日記(近畿)
花山まで


花山天皇の御所脱出は藤原道兼が中心となって極秘裏に行われた。
側近で実権を握っていた母の弟の義懐(よしちか)や乳兄弟の藤原惟成(これしげ)は
後から天皇がいなくなったことに気づいて探し回ったというから、
ごく少人数で山科へ向かったのだろう。
ただ、道中には兼家の差し向けた護衛もいた。

『大鏡』では「なにがしかがしといふいみじき源氏の武者(もさ)たち」として
護衛の名をぼかしているが、この武者たちこそ「ただのまんじゅう」源満仲の子の
頼光や頼信とされる。
頼光の大江山酒呑童子退治の伝承はあまりにも有名ですね。

まんじゅうの子やその郎党たちは花山天皇の護衛というより、
もっと大事な使命を帯びていた。
すなわち、道兼が花山天皇に同情して、あるいは天皇などから強要されて
共に出家してしまうことのないよう、監視するためだったというのだ。
この者たちははじめは物影から護衛をしていたが、
賀茂川あたりから姿を現し一行を守護したという。

そうして一行が向かったのが山科の元慶寺。
良源さんに阿闍梨を譲ってくれた覚恵のいた、あの元慶寺です。


おそらく阿闍梨を譲られたあとのことだと思うけど、
良源さんは妙業房ともいった元慶寺も所管していたらしく、
良源さんは死の前年の永観2年(984)、娘・詮子の産んだ皇子の立太子を祈願した
兼家の依頼を受けてこの元慶寺で祈祷を行っている。

これにはひとつエピソードがある。
その時の房の責任者は良源さんの弟子の静安だったが、
詮子なども列席した修法の各護摩壇には曼荼羅が懸けられていた。
ところが、肝心の中壇に安置するべき本尊が見当たらない。
しかし良源さんはあわてず、妙業房の開基とされる僧正遍昭の経蔵にあるからと言って
本尊を探させた。
すぐには見つからなかったが、夜になってもう一度経蔵を探させたところ、
厨子の上におわす御本尊様を見つけた。
房を管理していた静安をはじめ、居合わせた者たちはいずれも初めて見る御本尊様で、
居場所をぴたりを当てた良源さんに一同は喜び、かつ畏れたともいう。

良源さんの祈祷の甲斐あってか、同年8月には円融天皇が退位し
望み通り兼家の外孫が花山天皇の皇太子となった。
その花山天皇は同じ妙業房で落飾した。
兼家の栄華への執念が染みついたこの寺は、花山天皇にとっては
いわく付きの場所とも言えるかもしれない。

妙業房での剃髪の際にも、当然護衛たちはいた。
ここで道兼が剃髪を強要されることになっては大変なので、
一尺ばかりの刀に手をかけて見守っていたと『大鏡』はいう。


さて、道兼はかねがね花山天皇に

「私も一緒に出家して天皇のお弟子となり、
一生お仕えしますよ音符


と言っていたものの、天皇が落飾すると

「ちょっと家に戻って、父に出家前の最後の姿を
見せてきます。
出家する事情なども話してからここに戻ってきますから~」


と言って妙業房を出ていってしまった。
ここに至って花山天皇は

「さてはアイツ、騙したなぁぁぁ~!!」

と気づいて泣いたものの、もう後の祭り。
兼家の方では天皇が御所を抜け出したあと各門を封鎖したともされるが、
無事にもとどりを乗っけたまま戻ってきた道兼の姿を見て安堵しただろうし、
まんじゅう一族も大役を果たしてほっとしたことだろう。

天皇の行方を捜していた義懐と惟成は急ぎ妙業房へ向かい、
天皇に従って共に剃髪した。

翌日、禅師の君(尋禅)が呼ばれて天皇に菩薩戒を授け、
花山天皇は「入覚」と名乗った。

禅師の君は花山天皇にとって父方・母方どちらから見ても大叔父にあたる。
一門の守護・繁栄のために僧侶となった禅師の君だったが、
自分の腹違いの兄とその子たちの強引な手段によって出家することになった
花山天皇を見て、禅師の君はどう思ったのか・・・

出家した花山天皇はしばらく飯室谷(いむろだに)に住んでいたらしい。
ともに出家した義懐も飯室谷で修行したというから、
天皇の身辺の世話などもしながら同じ仏弟子として過ごしたのだろうか。

惟成の方の出家直後のことはわからないけど、ウィキペディアによると
東山の円山公園あたりにあった長楽寺のあたりに住み、修行に励んだという。
長楽寺は最澄が延暦寺の別院として創建したともいわれる寺なので、
だとすれば三者とも天台僧としてその後を過ごしたことになる。

過去には称徳天皇が出家した身で政務を執った例もあるので、
出家イコール退位という訳ではなかったかもしれない。
ただ、花山天皇の場合は御所を出る前に三種の神器のうちの2つの勾玉と剣が
すでに皇太子に移されていた。
モノによっては天皇が御所を出たあとに兼家が移したともいうが、
いずれにせよ出家前に神器が移されていることから
退位したあとでの出家、と世間一般では見られているらしい。

神器のうちの残り、八咫鏡(やたのかがみ)は本体が伊勢神宮に置かれ、
そのレプリカが皇室にあったものらしいが、鏡の方は賢所に置かれ
天皇の身辺には通常置いてなかったものらしいんだな。

こうして花山天皇は退位し、実権を握っていた義懐と惟成も出家した。
立場としてはトップにいた小野宮家の頼忠は新帝との外戚関係はなかったため、
これまた辞職した。

藤原南家に勝ち、源高明などの他氏も排除して北家の勢力が増大した後で
今度は北家の中で勢力争いが起こり、イマイチ子宝に恵まれなかった
実頼の小野宮家や師尹の小一条家を制して師輔の九条家が中心となった。
そして九条家の中では兄たちの死という幸運にも後押しされた兼家が
最後は自力で権力をもぎ取った。

どんどん土俵が縮められていく中で、最後は血縁の近い者同士での
争いとなっていくので、まだ若い高光が妻子を置いて突発的に出家したのも
わかる気がするし、禅師の君は良源さんの弟子に入ってよかったんじゃないかな~
とも思えてくる。

平安期は極端に「死」を嫌ったので血で血を洗うような抗争こそなかったものの、
一族同士の争いというのもなかなかエグい。
花山天皇の出家劇にともなう一連の政界の異動は「寛和の変」と呼ばれ、
兼家のあとは道隆・道兼と続き道長の代で摂関政治のピークを迎える。

が、道長の代まで行かなくても兼家の時点でほぼ「満月」と言っていいような
状況にあった。

小野宮家の頼忠が摂関だった頃は、頼忠は普段着で参内することはなく
天皇へ奏上する時や勅命を承る時は正装に近い装束で蔵人の取り次ぎを介して
礼節をわきまえた態度で臨んだという。
『大鏡』では、頼忠は花山天皇の外戚ではなかったから遠慮したのでしょうか、と語る。

それに対して兼家は、孫の一条天皇やその皇太子(これも孫)が臨席する
宮中での相撲観戦の際には上っぱりを脱いで肌着だけでいたといい、
晩年には自邸の東三条殿の西の対を清涼殿と同じ造りにして、
内装なども御所と同じにしてそこに住んでいたともいう。

『大鏡』では人臣としてはこれだけ栄華を極めながらも臣下の位に生まれたことは
前世の果報が足りなかったからだろうかと言い、また身分をわきまえない
素行の悪さのために外戚として長くこの世にとどまることができなかったと
世間では非難したと語る。

兼家の図々しさはその子孫たちにも受け継がれた。


冷泉~円融


これは前々回の系図ですが、緑字の2人は『小右記』からの記事に登場した人物。
花山院に弓を引いたあの事件の張本人です。

小野宮頼忠は関白を辞した後、太政大臣となって円融天皇の中宮の遵子とともに
四条宮に住んでいた。

隆家は花山院からも挑戦状を叩きつけられるほどのやんちゃっ子だったが、
兼家が摂政になったことで態度も横柄になっていったようで、
その横柄ぶりは頼忠に対しても向けられた。

隆家の妻の一人は六条に住んでいたので、そこから参内する場合は
頼忠の四条宮の前を通るという道筋だったらしい。
フツーの人なら四条宮の前は避けて通っていたところが、
隆家はなんと馬に乗ったまま通っていたんだそうな。
上記リンク先の門前ルールの記事を読んだ方には、これがどんだけ失礼なことか
おわかりですね。

頼忠も隆家のこの無礼のことは知っていた。
他の貴族だったらあるいは石を投げていたかもしれないけど、
それはなかったようなので、常識人・頼忠の統制がよく取れていたのかもしれない。
とはいえ、あまりの無礼にさすがの頼忠も気が気ではない。
そこでつい廊下の格子の隙間からどんな風に隆家が通るのかと覗き見してみると、
やたら勇みたった馬に乗った隆家は装束のひもを解いたままという無作法な姿で、
先払いに大声を出させながら自分は扇をゆうゆうと使って
わざとゆっくり馬を歩かせながら邸の様子を覗いているというあんばいだった。

が、そもそも隆家は


隆家周辺


なんと妻の母方の祖父が頼忠なのだ。
しかも四条宮に住む遵子は先の帝の中宮であり、自分のおばでもある。
だから、本来であればこの道を通るべきではないし、
通るにしてもきちんと身なりを整えてもちろん馬から降りて、
頼忠へご機嫌伺いでもするべきだったと『大鏡』のジジイは言う。

隆家本人もきかん気だったけど、兼家の一門の権勢がどんなもんだったか
うかがえるエピソードでもあります。


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最終更新日  2015年05月03日 00時21分07秒


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