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中学生の時に、三浦久のフォークソングを聞いて、そのなかの一節の「衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)煩悩無尽誓願断 (ぼんのう むじん せいがんだん)法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう)
というのをギターでよく歌っていた。 ついでに白隠禅師の座禅和讃も何故かギターで節をつけて歌ってた。 これは後にヒッピーの間でも歌われてることを知った。 ちょうど神田川とか流行ってた頃で、せっかくギターを覚えたんだから、同棲の経験のない若い僕には神田川を歌ってもまだピンと来ない。 なぜだか、上記の自分で作った曲を歌うとピンと来た。 あと一曲、タゴールの詩に曲をつけたのはずっと後。18くらいの頃だろうか。 「もしあなたを見ることなく、生きながらえているのなら、忘れることなく悲しみを持て。眠っても夢見ていても。」といった詩で、たぶん石油備蓄基地反対の南の島のコミューン無我利道場のポンの本棚で見つけたか、部族新聞に載ってたんだろう。 これは三十歳でPoonaに行くまで、一番の僕の持ち歌だった。 3.11の後、ボブを招いてコンサートしたら、ボブもこれに曲をつけていてびっくりした。 ボブの歌詞にはないのが、僕のやつには「夜が光への願いを忘れられないように、嵐が平和を打つにもかかわらず、その心では平和を欲するように、あなたに逆らうけれど、私はあなたが欲しい」という絶唱がつく。 「この世の市場に多くの日々を過ごし、多くの富が手に積まれても、何も手に入れてないことが心に残れ。もし歩き疲れ道の上に座り込み、埃に骨折って、床を広げるなら、すべての道のりが残っていることが、心に残れ」とタゴールの詩は、神との合一が起こっていない、分離の悲しさが、スウィートだ。 OSHOタロットでは、46. 探すこと、求めること、探究すること で、タゴールのことが述べられているが、ある時、プラサードからこれこそあなたの一枚だ、と言われたことがある。 和尚の世界では、分離の悲しみにメロウに浸るより、愛と笑いが大切だから、あんまりこの歌は歌わなくなった。 しかし、この世の市場に多くの日々も過ごさず、多くの富も手にしてないのに、若い時からそんな感じだった。 タロットにあるように「私は何千もの生にわたって神を探していた」のかもしれない。 そのくせサガプリアからは、これがあなたの一枚だ、と言われて渡されたカードは、「瞑想」。 例の傘をどこに置いたのか忘れてる禅僧の話。 ワークショップの休憩時間に遊んでた時のことだ。 遊び時間にも彼女は一撃をくれた。 いまだに今日も、切符をどこのポケットに入れたのかわからずに、改札口で大慌てだった。 もうひとつだけあった僕の持ち歌は、ジャニスの「ミーアンドボギーマギー」の日本語版。「自由というは失うものが何にもないことさ」と何度歌ったことだろう。 で、今日もまた切符を失くした。それはまったく自由でないが、まあいいか、という自由もある。 神と合一と瞑想の弁証法的発展が、課題であるが、誠に仏道の請願は成り難し。 ハート瞑想とアクティブ瞑想の会 日程 3月15日(木) 時間 18時から21時30分 会場 芦屋市民センター幼児室 (最寄駅:阪急芦屋川駅、JR芦屋駅) 講師名 VIJAY(辻本) 連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/deva ハート瞑想と第二チャクラ研究会 日程 3月18日(日) 時間 10時から17時 会場 大阪北浜駅すぐ 講師名 VIJAY(辻本) 連絡先 https://mysticunion.wixsite.com/chakra お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.03.09 17:21:33
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