カテゴリ:いわて三陸の旅
日本三景の「松島」。一方、古来松島は霊場として、人々の崇敬を集めていた。松島の景観と極楽浄土を重ねて、多くの人々がこの地を訪れた。9世紀初期、瑞巌寺の前身に天台宗延福寺が創建される。奥州藤原氏が滅んだ鎌倉期に、臨済州へ改宗して円福寺となる。戦国乱世の中、寺は荒廃の一途をたどる。 関ケ原の戦の後、伊達政宗が仙台に居城を移すと同時に、この古刹の再建に力を入れる。「松島青瀧山瑞巌禅寺」の名称に表れている。先の大戦で焼失を免れたため、桃山様式を今に残す貴重な建築物が残っている。本堂、庫裡、御成門などが国宝に指定されている。 政宗は、伊達家の菩提寺として、強い想いと夢を抱いて瑞巌寺を造り上げた。瑞巌寺の繁栄と存続は、伊達家の繁栄に繫がる。戦乱で亡くなった家臣・領民を弔うための寺院で、領内の平和を実現せさるための精神の拠り所となる。過酷な戦国時代を智力で生き抜いた伊達政宗。「永遠の繁栄と安寧」を強く願う宰相だった。 訪れた日、石斛(セッコク)のピンク色の花が見られた。中門(ちゅうもん)まえの杉の枝に、着生したもの。日本蘭の一種で、松島周辺では「イワタケ」とも呼ぶようだ。絶滅の危機にある貴重種、松島町の「町花」となっている。
写真-1 ツインの大杉-中門-本堂と直列配置。 写真-2 国宝指定の庫裡と本堂(桃山文化を今に伝える)。 写真-3 杉に着生した石斛(せっこく)のピンクの花。 写真-4 中門前の苔床と白衣観音像、登竜門。 写真-5 海岸から続く参道。本堂中庭と法身窟。 写真-6 本堂室中の孔雀の間と松孔雀図[パンフレットより]。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年07月22日 06時00分08秒
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