|
カテゴリ:瑞穂町
(前回からのつづき)
円福寺の先にある箱根ヶ崎交差点から、北へと歩いてみます。今まで、青梅街道から北へ入れば、常に狭山丘陵に突き当たってきましたが、すでに丘陵の西端を越えているため、ここでは右手に丘陵を望むかたちになります。左に如意輪幼稚園の色とりどりの花壇を見ながら進むと、残堀川を越え、やがて前方に狭山神社の鎮座する小高い丘が見えてきます。 狭山神社の創建年代は不詳といいますが、源朝義が永承年間(1046~53)に奥州へ発つ際、この地で戦勝を祈願し箱根権現を勧請したと伝えられます。樹々に包まれ鬱蒼とした長い石段を三の鳥居までくぐると、ようやく丘の上の本殿前に出ます。 狭山というと埼玉県のイメージが強いかもしれませんが、元来は狭山丘陵とその北西部一帯の地名であり、立派に東京都内の地名でもあります。「さ」は細長いの意とされ、東西に細長い島状の狭山丘陵の地形から狭山の地名が生じたといわれます。 狭山神社境内には勝海舟揮毫による狭山茶場碑がありますが、狭山といえばまず思い浮かべるのが狭山茶でしょう。静岡、宇治と並ぶお茶の三大銘柄のひとつで、栽培のルーツは鎌倉時代にまで遡るといいますが、江戸期の新田開発によりこの地域の特産品として普及しました。「狭山茶」ブランドの表示には、埼玉県内産と埼玉県に隣接する東京都西部産の茶葉使用が定義されているそうです。 狭山神社前西側から北上する狭い通りは、飯能街道ですが、そこからすぐに西へ別れると、正面が狭山池公園です。公園の中央に広がる大きな池は、古くから筥(はこ)の池と呼ばれ、箱根ヶ崎の地名由来のひとつともなっています。現在は残堀川の水源となっていますが、もとは狭山丘陵を源としていた残堀川が、承応3年(1654)に玉川上水の助水となった際、狭山池の水を残堀川に流すための堀割が掘削されました。 (次回へつづく) 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.05.20 23:20:01
コメント(0) | コメントを書く
[瑞穂町] カテゴリの最新記事
|