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バス停地名学のすすめ

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2008.11.13
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カテゴリ:足立区
バス停データ
◆所在地:足立区 ◆路線:都営バス[草41]系統

みなさん、こんにちは。

浅草寿町と足立区の梅田地区を結ぶ都営バス[草41]系統は、鶯谷、三河島を経て町屋から尾竹橋通りを北上し、隅田川と荒川を尾竹橋と西新井橋で立て続けに越え、土手沿いにしばらく東へ進んだ後、梅田排水場前交差点から梅田地区へと入ると、間もなく赤不動バス停に到着します。

梅田地区は、古くは淵江と称した場所で、平安時代末の治承2年(1178)に源頼朝の叔父にあたる志太先生三郎義広がこの地に暮らし、その五代目となる常陸介久広が義広の縁でこの地に入り、自身の姓と村名を梅田に変えたと伝えられます。淵江という古称からは海との関連を想像させますが、古くは海田と称した地名が梅田に転化したとする説もあるといいます。

バス停から梅田4丁目の住宅街を少し歩くと、すぐに高い塀に囲まれた寺院が見えてきますが、これが赤不動こと明王院です。境内東側にひっそりと開いている門から中へ入ると、きれいに箒の目が入った砂利に囲まれ、整然と明るく開放感のある境内中央に、大きな朱塗りの不動堂が聳えています。正しくは万徳山明王院梅林寺と号し、志太先生三郎義広が祈願所として建立したことに始まるとされます。寛保2年(1742)に京都から奉戴した感得不動明王像を納めるのが、俗に赤不動と呼ばれる不動堂ですが、現在のものは昭和48年に改築されたものとのことです。

(次回へつづく)

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最終更新日  2008.11.13 22:43:14
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