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バス停地名学のすすめ

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2009.04.02
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カテゴリ:江東区
バス停データ
◆所在地:江東区 ◆路線:都営バス[亀29]系統他

みなさん、こんにちは。

亀戸駅から明治通りを南下する都営バスは、江東区を東西に横切る堅川と小名木川を越え、小名木川貨物駅跡地を右手に見ながら北砂地区を抜けると、清洲橋通りとの境川交差点の先で、境川バス停に到着します。

境川は、かつてこの地を流れた川(というより運河、堀割)の名ですが、川は震災後の昭和5年に埋め立てられ、今はその痕跡を認めることも困難です。現在の清洲橋通りがほぼかつての川筋にあたり、第269回「旧葛西橋」の項でご紹介した旧葛西橋付近で荒川(放水路の開削前は中川)から西へ分かれ、扇橋3丁目のクローバー橋西方付近で小名木川に合流していました。小名木川の裏道的な水路だったせいか、裏川の別名があり、他に砂村川、船入川などとも呼ばれたようです。砂町(旧砂村)付近の新田開発は、江戸時代初期の万治2年(1659)から始められていますが、境川もその頃に開削されたものでしょう。北側の中田新田や大塚新田(現在の東砂4・5丁目付近)と、南側の砂村新田や八郎右衛門新田(現在の東砂6・7丁目付近)との境界となったことからその名があるようです。埋め立てからおよそ80年を経ていますが、川の名は境川交差点周辺の俗称として、しっかりと根付いています。

境川交差点に立っていると、目の前を頻繁にバスが通過し、この地が江東区東部の交通の要衝となっている様子が感じられますが、もともと境川には数年前までバスの操車場があり、バスとは縁の深い街でもありました。まずはその操車場跡地を確認してみます。

(次回へつづく)

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最終更新日  2009.04.02 22:42:18
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