No rain, no rainbow の、お話。
この傘を。一体いつから使っていたのだろうと思って調べてみましたら、「2015年の2月」から、でした。あ・・・ 2015年の、冬から春へと季節のうつろう、ちょうど今ころ、だ。その年の夏。 「2015年の夏」は。ここでも何度もお話させていただいてきた、古くからの読者さまなら みなさんよくご存知の、わたくしの人生を大きく変えた「捨ての夏」でしたから。あの怒涛の夏を生き残り、その後の幾度とない持ち物の見直しを潜り抜け、当時からの仲間がほとんど姿を消してしまった中で・・・今もずっとそばにある、わたしの、この傘。 ******************************張り地、と申しますか、傘の表面は、今もとてもキレイです。こんなことってあるのかしら。これより以前に持っていた傘って、すぐに色褪せたり、あと、折り目?っていうのかな? 傘を閉じた時に「谷」になる布地の部分に黒い線状の汚れが染み付いてしまったり、とにかく、そんな何年も使えなかったことを覚えているのです。2015年の誕生月に買ったんですね。その年の春の終わり頃に、わたしの心が「完全にへし折れる」ということを・・・この傘は・・・ 知っていたのかな。けれど、木製の柄には、実はこんなにたくさんの小さな傷があるのですよ。人生をともに歩んできたことの、大切な証です。「コンプレックスなんて、一つもないんでしょう?」そう言われることがあるのだけれど。そんな人、いるはずもない。どんなに笑顔に見えていたって。もしも傍目には順風満帆に見えたって。コンプレックスのない人や、心に傷を負っていない人なんて、この世には。きっと、おひとりもいません。わたしの弱っちい心が、ある日、へし折れて。それまでの人生の全てが紙くずみたいに思えて。あらゆる気力を、驚くほどに失って。そこからもう一度立ち上がって。今があるのですけれど。傘の骨が強風で折れてしまうように。あっけなくポキリと折れてしまったかのように挫けていた心は 決して折れてなどいなかったことや、支えてくれる人の存在の大切さに気づくことができたこと。初めて心から感謝できたこと。人はまた前を向ける、ということ。この傘は、きっと、そんなわたしの無様さの全てを。そして一生懸命さの全てを。みんな みんな、近くで見てくれていた。人生には。 冷たい雨が降る日もたくさんあって。けれどやまない雨は 決してなくて。No rain, no rainbow (雨無くして虹無し) という言葉が、好きで。傘 や 雨具 というよりも。強風や嵐の中だって しなやかにたわんで、折れない。心だって、そうありたい。 きっとそうあれるよ。 大丈夫。見るたび、手にするたび、それを何度も教えてくれる・・・もう8年目の傘だけれど。 10年、そしてもっと。もしも折れてしまっても直して直してずっと大切に使いたい・・・わたしにとって、とても特別な。大切な持ち物のひとつ、です。そんな念が 漂っているのでしょうね。 盗まれません(笑) つづく↓ こうして最後までお読みくださったことを・・・にほんブログ村そして、ポチッと応援してくださるあなたさまのお気持ちを・・・にほんブログ村これまでも、今日も、いつも、本当にありがとう ( ´▽`) フォローをしてくださっている たくさんのみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さること、とてもうれしいです。 ありがとうね :