本のタイトル・作者
六つの村を越えて髭をなびかせる者 [ 西條 奈加 ]
本の目次・あらすじ
最上徳内こと、高宮元吉(げんきち)は、出羽の村山・楯岡村の出身。
貧しい百姓の家に生まれ、幼少より数字と文字に強い興味を抱いた元吉。
切煙草の行商も行う父は、息子の強い学問への関心を認め、江戸行きを薦めた。
元吉は二十七歳で神田の煙草屋に奉公し、人の紹介で御殿医の家僕の職を得る。
家僕の仕事をこなしながら湯島の塾に通い始める。永井右仲を師とし、算学に励む元吉。
元吉はその師匠である本田利明・通称音羽先生に引き合わされ、未開の地・蝦夷の見聞に従者として伴うことととなるが―――。
引用
「イワン コタン カマ レキヒ スイエプ ヘマンタ ネ ヤー」
「キケパラセイナウ」
相槌を打つようにこたえていた。チライカリベツコタンに通い始めた頃に教わった。
六つの村を越えて、髭をなびかせるものは何か?
謎かけのこたえは、髭のように見える神具、キケパラセイナウだ。
「トクは、キケパラセイナウだ」
髭をなびかせ、多くの村々を渡る者。その姿は、徳内の抱く大望と、ぴたりと重なった。
感想
2022年122冊目
★★★★
『心淋し川』で直木賞を受賞した西條さんの新作。
タイトルから勝手に「限界集落6村を担当する医師の過疎地医療の物語」だと思っていた。
(この思い込みのパターン多い。笑。おそらく「赤ひげ先生」からの連想。)
親切な表紙絵を見れば、「アイヌの衣装」「蓑(=現代ではない)」から大まかな内容が掴めそうなものなのに。
いやあ、面白かった。
江戸時代、蝦夷地を見聞した最上徳内の、アイヌとの物語。
教科書で名前だけしか知らなかった最上徳内。
それがこんな人だったなんて。
立身出世、波乱万丈の人生。
でもこの本は全編ほぼ不遇の時代の話で、もう報われないことこの上なくて…。
その後、教科書に載る立派な「最上徳内」の話は、最後の4頁くらい。
北方の地の調査と、アイヌとの交流。松前藩の搾取。
徳川家治の死去、蝦夷地調査・開拓を推進していた田沼意次の失脚―――。
現場の声は、政治に掻き消される。
誰かの思惑は、誰かの意図に反する。
正しい行いを正しく行うことは、いつだって難しい。
「北方の見聞」に赴いた探検隊としての物語も面白かったのだけど、何よりその内部政治的な部分に惹かれて読んだ。
しかしもう…みんなが報われなさ過ぎて悲しくて。
最後の最後に、最上徳内がひとり、意志を―――遺志を、継いでくれた。
前に読んだ
熱源 [ 川越宗一 ]
は、これから後の、明治~昭和までの物語。
ぜひこの作品もあわせて読んでもらいたい。
知床観光船沈没事故で北海道の地図を見るにつけ、自身の不明を恥じる。
ロシアとの国境問題は、今ウクライナ侵攻が行われているからこそ、どうしても過敏にならざるを得ない。
けれどそれがなぜ、いつ、どうやって定められたのか、歴史の授業で習ったことを、すぐには思い出せない。
この本の中で、徳内はエトロフでロシア人と友となる。
そして思うのだ。猫の喧嘩に等しい国境の線の引き合いで、なぜ人はこうも爭うのか。
その地にありては、どうとでも良いと思えることで。
田沼意次のもとの植民計画も初めて知った。
人は人の下に人を置くことでしか生きられぬものなのか。
異なる言葉。異なる文化。異なることは、なぜこんなにも、恐れを生むのだろう。
恐れは、怯えは、それを屈服させ服従させ、制圧するための戦いへつながる。
そして恨みが、怒りが、火種のように燻り続ける。終わらない輪環。
戦争においては誰もが敗者である。
というのは、どこで目にした言葉だったか。
私たちはその歴史からかくも手痛く学び、賢くなったのだと思っていた―――のに。
これまでの関連レビュー
・心淋し川 [ 西條奈加 ]
(
2021年5月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)
・
曲亭の家 [ 西條奈加 ]
・
熱源 [ 川越宗一 ]
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