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タイガース非公式サイト2代目

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2024年07月07日
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カテゴリ:2代目の日記帳💖

た な ば た 

2代目タイガース非公式サイトです


 今日 7月7日は「七夕」です


 日本では梅雨真最中の時期なので なかなか「天の川」なんて拝めないよね

 晴れたとしても夜 地上が街灯や照明・看板・車のライトなどで明るすぎるせいで暗い星は見えないから 肉眼では「天の川」というほどのイメージじゃなくなってしまってて残念

 2000~3000メートル級の山に登ってみると「川」ということがわかるそうよ 江戸時代なんかは夜の街は真っ暗だし空気も汚れてなかったから 平野でも綺麗な天の川が見れたんだって!


そもそも七夕って何?


 子供のころ物語は教えてもらった気もするんだけど よく覚えてないのでちゃんと調べてみました

 五節句のひとつで、縁起の良い「陽数」とされる奇数が連なる7月7日の夕べに行われるため「七夕の節句」といいます。笹を用いて行事をすることから、別名「笹の節句」とも呼ばれています。

中国伝来の【七夕伝説】と【乞巧奠(きっこうでん】に、日本古来の【棚機つ女】の伝説や、【お盆前の清めの風習】などが結びついて、現在のようなかたちになりました。

​ こんな不親切な説明じゃわかんないとおもうので 以下に詳しい内容を書いていくから読んでみて​

七夕伝説とは?

​​
 ​伝えられる中で色々なバージョンが存在しているようだけど 一般的なものを要約すると次のようなお話になります
 
 天の川の西岸に住む「機織りの名手・織姫」と、東岸に住む働き者の「牛使い・彦星」が、織姫の父親である天帝のすすめで結婚しました。ところが、二人は仲睦まじくするばかりで全く仕事をしなくなってしまいます。​​​

 これに怒った天帝が、天の川を隔ててふたりを離れ離れにしてしまいます。すると今度は悲しみに明け暮れるばかりで益々働かなくなってしまいました。
​ そこで、仕事に励むことを条件に七夕の夜に限って再会することが許され、七夕になると天帝の命を受けた「カササギ」の翼にのって天の川を渡り、年に一度、再会することができるようになりました。

 ​どうかな 皆さんもなんとなく思い出した? 年に一度の逢瀬というロマンチックな恋愛がテーマのように見えてしまうけど 根底には「仕事をしっかりやりなさい」という戒めがあるってこと​


織姫・彦星・カササギは天の川のどこに?

​​​​​​​​​​​​​​

では夏の夜空を見上げたとき どれが「織姫」「彦星」「カササギ」なのか みなさんは判りますか?
 判らない人は
次のプラネタリウムの図を見て頂戴 
​天の川に輝く「夏の大三角」は知ってるよね 実はこれが七夕伝説そのものを表しているのよ​!


 こと座」のベガが織姫(織女星)「鷲座」のアルタイルが彦星(牽牛星)「白鳥座」のデネブが二人をとりもつカササギだよ 位置関係に納得でしょ?

 

どうして願いごとをする行事になったの?

 

中国の儀式「乞巧奠(きっこうでん)」

 七夕の行事のルーツは中国で始まった「乞巧奠」と言われているのよ

 これは年に一度の織姫と彦星の逢瀬をお祝いし 織姫にあやかって機織りなどの技芸の上達を願ったり巧みになるように乞う意味の祭り(奠)イコール「乞巧奠(きっこうでん)が催されるようになったのが始まりのようね

日本に伝来した「乞巧奠」

​ 「乞巧奠」は奈良時代に日本にも伝わってきます 行事の内容は 庭に祭壇を設けて供物を供えたり 梶の葉に和歌を綴ったり 7本の針に五色の糸を通して裁縫の上達を祈ったり など多様化してくけどまだ貴族たちの行事でした

日本の伝説と融合した「七夕伝説」

 「七夕伝説」が伝わってきた最初のころの日本では 最初「七夕」と書いて「しちせき」と呼んでたんだって

 一方 日本には古来から 神様を迎えるために水辺に設けた機屋に入り棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機で神様に捧げる神御衣(かんみそ)を織りあげる女性の話「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説があったのね

 中国の「織姫」と日本の「棚機つ女」が結びつき、「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになったらしいわ


江戸時代に庶民の行事に

江戸時代になって七夕の節句が五節句のひとつに定められると人々に親しまれるようになっていくのね

七夕の後 七夕飾りを川や海に流す風習を「七夕流し」といい 七夕飾りが天の川まで流れ着くと願いごとが叶うといわれたりしていたんだよ

笹飾りや短冊の由来

 「乞巧奠」が伝わったころは 貴族が「手芸」「詩歌」「管弦楽」「文字」などの上達を願い 梶の葉に文字を綴ってたことがルーツみたいね

 江戸時代になって寺子屋が増えたころ 算盤や習字など習い事の上達を願う行事として親しまれて 短冊に「願いごと」を書くことが広がっていったのよ


 ただし「願いごと」は欲望を満たすようなものではなく 技術・技能の「上達」や習い事・学問などの「努力目標」を書くのが筋よ 生々しい金銭欲などはダメ!

 代表的な飾りは「五色の短冊」「吹き流し」「折り鶴」「紙衣(かみこ)」「巾着」「綱飾り」「くずかご」などがあるんだよ
 「くずかご」はお祭りが済んだ後ゴミとなる飾りをきちんとあと始末しますという意味らしいのよ マナーを象徴してて当時の人たちの「良心」を感じるわね


今も行われる七夕まつり


 日本の各地では「七夕まつり」が伝統になってる街ってあるよね

 これは大正から昭和にかけて日本の繊維産業が世界をリードした時代に 紡績工場や織物工場が集積していた街の特徴なの

 工場で働く若い女工さんたちを「織姫」になぞらえ その慰労のために始まったのが最初みたいで 繊維産業の隆盛と共に年に一度の大イベントになっていったわけ

 ここで「出会い」が生まれ 女性工員の多くがその地域の男性と結ばれて街の人口増につながっていったという「七夕効果」もあったのね  

 次の写真は仙台の七夕まつりだけど もう今は繊維産業自体はすたれてしまってる それでもお祭りは残っているよ こういう街は全国各地にあるよ 素敵なお祭りだからこれからも残していってほしいな


今夜は天の川見えるといいね

2代目の願いごとは?

「頑張るから時給上がってほしい」・・・これアウトかな

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Last updated  2024年07月07日 11時25分46秒
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