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Fred. L. Valentine (1970) 生年月日 : 1935年1月19日 背番号39 右投左右打 外野手 出身地 : アメリカ合衆国ミシシッピ州クラークスデール 球 団 : 阪神(70) 表彰等 : なし 阪神在籍 : 1年 123試合439打数108安打46打点11本塁打47四死球76三振3盗塁 打率.246
(1)村山現役監督で盛り上がるタイガース 1970(昭和45)年、エース村山がプレーイング・マネージャーに就任し、阪神ファンは大いに盛り上がった。前年は藤田平の成長や大型新人・田淵幸一の加入で、攻撃陣に活気が出てきたため、かつての貧打を脱し、追いつけないまでも巨人に大きく引き離されないだけの地力がついてきていた。 助っ人のジョー・ゲインズは当てが外れたが、実力ある外国人選手がもう一枚加われば、勝負になるだけのチーム力が育ってきたと言えるだろう。 (2)長打が期待できるスイッチヒッター そんな状況下で、阪神は1月20日、ボルチモア・オリオールズ傘下3Aロチェスター所属のフレッド・バレンタイン外野手と契約する。185㎝、89kgのスイッチヒッターで34歳。 ボルチモア・オリオールズ~ワシントン・セネターズ(現ナショナルズ)で7年間の大リーグ経験があり、通算では533試合に出場し、1458打数360安打138打点36本塁打47盗塁、打率2割4分7厘の実績を残している。前年のゲインズより1歳年長だが期待できそうな選手だ。 2月16日、来日したバレンタインは報道陣を前に「目標の数字は打率3割3分、もし1番を打たせてもらえるなら100得点、中軸の場合なら本塁打25本で80打点」と公約している。 18日の初練習では、左右合わせて約50球の打ち込みを行ない、右打席で130メートル級のサク越え2本、左打席では広角に打ち分け、セーフティ・バントまで試みるなど器用なところもアピールしている。 (3)オープン戦21試合で5本塁打11打点 注目の初登場は3月1日の対阪急オープン戦。ギックリ腰で欠場した田淵に代わって、いきなり先発メンバーの4番に座る。この試合は5打数1安打だったが、そのヒットが1回の先制点に絡む2塁打で、左打席でのシュアなバッティングだった。 3月10日の東映戦で、4試合目にして待望の一発が出る。2回二死からパンチ力のある右打席で、東映・田中の初球を叩いてレフトへソロホームランを打ち込んだ。 これを見た村山監督は「去年のゲインズとはえらい違いや!これなら公式戦でもクリーンアップを任せられる。」と絶賛して大喜び。3月22日の南海戦では、まず左打席で2号2ランを打つと、次の打席は右で3号ソロと連発し、このあたりで村山監督も、本気で4番に据える決断をしたようである。 バレンタインはその後もよく打ち、27日には4号2ラン、29日にはカークランドとのアベック・ホームランとなる5号3ランを放っている。 オープン戦は21試合に出場し72打数21安打11打点5本塁打、打率2割9分2厘の好成績を残した。この数字はカークランドの1年目よりもいい。バレンタインの加入で阪神の中軸は厚みを増し、公式戦開幕へ向けて首脳陣やファンの期待は膨らんだ。 (4)公式戦前半では55試合で4番を務める 開幕第1戦は4月12日、甲子園でのヤクルト戦。バレンタインは4番センターで先発出場し、5回にタイムリーを放って公式戦デビューを飾る。その後の試合でも器用なバッティングをするのだが、オープン戦で見せた長打力は鳴りをひそめてしまい、4月は13試合でホームランが1本も出なかった。 5月に入って、1日の中日戦(甲子園)の6回に公式戦初本塁打となる第1号ソロが出ると、8回には2打席連続の第2号2ランを放ち、初めて3安打固め打ちを記録。5日のヤクルト戦でも3回に先制の第3号3ランが飛び出し、いよいよエンジン全開かと思わせた。 ところが、この試合を境にして打率は緩やかに降下し始め、ホームランも6月9日の巨人戦での第4号まで、1ヶ月以上ご無沙汰となってしまう。 7月16日で前半戦が終了。バレンタインは、ここまでわずか5本塁打で、打率も2割4分6厘まで落ちていた。前半の64試合のうち55試合で4番をつとめていることを見ても、村山監督がいかに期待していたかがわかるのだが、それに応えることができたとは言い難い数字だった。 (5)余談:毎回安打・毎回得点試合 まったくの余談だが、前半戦で阪神は大変珍しい記録を達成しているので紹介しておく。その試合は6月27日、神宮での対ヤクルト9回戦で、ちなみにスコアは次のとおりだった。 なお、この試合で先発の村山は6回まで投げ、200勝に王手をかける199勝目。バレンタインも3安打2打点で記録達成に貢献している。 (6)田淵のアクシデントを乗り越え優勝争い 本題に戻って後半戦。藤田平が盲腸炎で戦列を離れると、バレンタインが3番に入る。オールスター明けの初戦、7月24日の広島戦でバレンタインは2本塁打を記録して好スタートを切ったが、元来暑さに弱かったのか長続きしなかった。 8月はさっぱり打てず、信頼感が薄れてきたため、打順も6番、1番、3番、5番と一定しなくなっている。ただし、チームは3ゲームほどの差でピタリと2位につけて、巨人の隙をうかがっていた。 ところが、ここで阪神は悪夢のようなアクシデントに見舞われる。8月26日、甲子園での広島19回戦の3回裏、田淵幸一が外木場の投球を左側頭部に受けて昏倒。意識不明となって西宮市の明和病院に運ばれた。幸い意識は戻ったが絶対安静。残り試合の出場は不可能になった。これから反攻に出ようとしていた矢先に主砲を失ったチームは、絶望的な状況に追い込まれてしまう。 9月に入ると好調な巨人に引き離され、9月6日時点で、この年最大の6.5ゲーム差を付けられてしまう。負傷する前まで21本のホームランを打っていた田淵が抜けてしまったので、バレンタインとカークランドには大きな期待が寄せられたが、大事な終盤戦で不調をかこっていた。 そんな状況下で投手陣はよく踏ん張り、あきらめずにジリジリと追い上げた結果、ついに1ヵ月後の10月7日、両チームはまったく同じ68勝45敗4引分で並ぶ。 (7)優勝争いに全く貢献できなかったバレンタイン 迎えた10月10日からの巨人3連戦、最高潮の盛り上がりとなったが、バレンタインは3試合とも打点がなく、カークランドと共に大ブレーキとなる。 1試合目は江夏豊がノックアウトされ、2戦目こそ村山が完封して一矢を報いたものの、3戦目は中1日でリリーフした江夏がつかまり、逆転を許して1勝2敗と負け越してしまった。 その後は追いつくことができず、最終的には2ゲーム差の2位でシーズンを終えている。3年連続して巨人の後塵を浴びる結果となったのである。 バレンタインは、優勝争いの正念場だった10月に不振を極めた。出場した15試合で、1本もホームランが出ず、月間の打率も2割4厘と低迷して、田淵の代役どころか「戦犯」と呼ばれても仕方のない成績だった。 一方、僚友のカークランドも1年を通じて不振に終わったのだが、ここで両者の年間成績をくらべてみよう。 (8)カークランドは残留バレンタインは解雇 2人の年間成績は次の通り バレンタイン 123試合 439打数 108安打 46打点 11本塁打 打率2割4分6厘 カークランド 118試合 369打数 92安打 32打点 15本塁打 打率2割4分9厘 それほど差は感じないし、打点に注目してみるとバレンタインの方が多少なりとも状況に応じたバッティングをしているようだ。 ところが、球団はカークランドを残留させ、バレンタインを解雇したうえに新たな補強はしなかった。 カークランドの意外性と人気を買ったのか、バレンタインの終盤での不振が印象を悪くしたのか、そのあたりの判断の真相は定かではない。 猛虎異人伝11 フレッド・バレンタイン[完]
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2025年06月16日 15時00分04秒
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