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タイガース非公式サイト2代目

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2024年09月17日
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背番号25(その7)

背番号25の第7回目です
 前回紹介した濱中さんはホント惜しかったよね ケガさえなければ多分「ミスター」まで行けてたんじゃないとおもうよ やっぱり一歩一歩確実にというのが大事で焦ってはいけないんだという教訓を残してくれたのかもしれないね

さていよいよ残りは5名になりました 今回は2名の投手を紹介しますね。

最初の選手は皆さんはたして記憶してるかしらね? 前川さんという投手なんだけど タイガースにいたのは20年位前かな 一体どんな選手だったのかというより 社会人としてとんでもない人みたいよ!

2人目は地味ながら中継ぎで安定した成績を残している投手です 現在(2024年)ファームでピッチングコーチをされてます

前川勝彦 投手

大阪府大阪市出身の左投手。高校はPL学園で、福留孝介の一学年下に当たる。

1995(平成7)年は春夏、1996(平成8)年は夏の選手権に出場しているが、注目されたのは96年夏で、3試合投げて41奪三振を記録した剛腕投手。この年は秋の国体で優勝投手になっている。

 同年のドラフト会議では近鉄バファローズから1位指名を受けて入団する。高卒ルーキーながら1年目の1997(平成9)年に一軍を経験しており5試合に登板した。内容的には計5イニングで自責点8、防御率14.40というものでこれは仕方ないだろう。2年目の1998(平成10)年は1試合しか投げていない。

 3年目となる1999(平成11)年には15試合に登板して2勝1敗と初めて実績ができ、翌年の飛躍につながっていく。

 2000(平成12)年、33試合に登板しそのうち27試合が先発、つまりローテーション投手に抜擢された。成績は8勝13敗と負け越したが、8完投はリーグトップ。173回を投げて規定投球回数もクリアし奪三振105自責点80で防御率は4.16だった。


 さらに2001(平成13)年は28試合中24試合が先発で、自己最多勝となる12勝9敗と勝ち越し、3・4月には月間MVPも受賞するなど活躍している。ただし防御率は5.89でよく打たれている印象があった。

 2002年(平成14)年は22試合すべて先発したが4勝11敗と大きく負け越してしまう。

さらに2003(平成15)年は16試合で4先発しているが4勝2敗のうえ防御率は7点台と打ち込まれてしまい、オフに川尻哲郎との交換トレードでタイガースへ移籍してきた。

2004(平成16)年、タイガースで背番号「25」を背負った前川は、確かにストレートは球威もあり変化球の種類も多彩だったが、大観衆が入るとコントロールを乱す特徴があった。4月に3試合を投げているが14回1/3で自責点16と滅多打ちにされるとファーム行きを命じられ、結局そのまま最後まで1軍に呼ばれなかった。成績は0勝2敗、防御率10.05。


2005(平成17)年は6月に一度1軍に上がり2試合に登板したが、3回2/3を投げて再び2軍へ落されてそれっきりだった。ファームでは5勝1敗で防御率2.44の成績を挙げて最優秀投手賞を受賞したがアピールにはならず、オフに相木崇との交換でオリックス・バファローズへ戻った。

オリックスでは2006(平成18)年に1勝したが7敗。

翌2007(平成19)年1月には、大阪市内で歩行中の女性と接触事故を起こしてその女性と路上で口論となり、警察官が駆け付けると逃走したが取り押さえられ「ひき逃げ」の容疑で逮捕される。

裁判の中で過去のスピード違反事案が次々発覚、運転免許自体2002年に取り消されていたにもかかわらず、無免許運転を続けていたことも明るみになり、懲戒解雇となった。
 保釈され丸坊主で反省の謝罪会見も行ったが、多くのPL学園OBの選手たちからは批判され 裁判では懲役2年執行猶予4年の判決がおりて有罪となった。


その後10月にはドミニカにわたりウィンターリーグに参加したり、アメリカでマイナーリーグを転々としたようだ。(有罪判決が出て執行猶予中の人が海外に行って働けるのか疑問だけど法律ではどうなってるのかな?執行猶予がなければ本来服役中の期間だよ)
 2010(平成22)年に四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズに入団。1年プレーした後に三重スリーアローズに移籍したが秋には退団しており、以後消息を絶ったまま2024年現在全く所在生死不明だという。

 プロ通算では149試合31勝45敗1ホールド、609回を投げ417奪三振、自責点385防御率5.26である。

渡辺 亮 投手(再掲)

渡辺は競艇選手志望から体格で道を閉ざされ、プロ野球選手への道へ転換した変わり種の投手。入団時の背番号が「25」だった。「背番号12ー7」ですでに紹介しているため全文を再掲する。

徳島県鳴門市出身で鳴門工業時代は競艇選手になろうと思っていおり、その体力づくりのために野球部に所属していたが、競艇選手の身長制限を超えてしまい断念したことで野球に専念する。

1999(平成11)年の選抜大会に出場したが1回戦で市川高校に1-2と惜敗している。卒業後は同志社大に進みエースとして通算26勝13敗316奪三振、防御率1.62という素晴らしい成績を残している。

その後社会人日本生命を経て、2005(平成17)年秋の大学・社会人ドラフト4巡目でタイガースの指名を受けて入団、背番号は「25」だった。

ルーキーの2006(平成18)年は二軍生活だったが、2007(平成19)年に一軍に上がると中継ぎ投手の適性をいかんなく発揮して53試合に登板し、1勝1敗7ホールドで防御率2.47と結果を出す。


身長175センチ体重70キロと投手としては小さいほうだが、140キロ台後半のキレのあるストレートで三振も取れ、コントロールが好いのが強み。

 2008(平成20)年から2012(平成24)年までは、66試合、46試合、61試合、56試合、50試合と大車輪で働き、この5年間のなかで3シーズンは防御率が2点台、2011(平成23)年は1点台と安定感も抜群だった。

背番号については、2008年にFAで新井貴浩が加入したことにより「25」を譲り、「12」に替わっている。

プロ入り以来順調に働いていたが、2013(平成25)年の春季キャンプに肩痛を発症してしまう。これまでほとんど故障というものに縁がなかったが、二度と状態は改善せず引退へつながってしまうことになる。

この写真は2015年に先代がナゴヤ球場のブルペンで撮ったもので 故障のためファームで調整してた時みたい 先代にとって渡辺さんの現役最後のショットなのね

 

2013年が15試合。2014(平成26)年が14試合、2015(平成17)年には1試合しか投げられず10月に引退を表明する。

引退後は2016(平成28)年からフロント入りし、スカウトとして活躍している。投手の目線から打者を評価しており、井上広大、小野寺暖、佐藤輝明などを担当した。

2024年から2軍投手コーチに転じて若手育成に汗をかいている。

現役通算362試合に登板し、すべてがリリーフ。15勝6敗60ホールドで、防御率は2.64と素晴らしい。目立たなかったがタイガースにとってなくてはならない存在だった。

まとめ

この前川って人はどうしようもないね ドラフト1位で契約金1億だったらしいけど野球に没頭出来ないタイプだったんでしょう しかも免許取り消されてから5年も無免許のまま運転してる確信犯 執行猶予なんて甘すぎじゃないの? 今は行方不明みたいでどうしてるんだろね

渡辺さんは現役時代にも観てますが 最近はファームの試合に行くとナゴヤ球場のブルペンでよくお見掛けしてるんだよね 前より身近な存在だわ

25の8に続く



 

 

 


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Last updated  2024年09月17日 23時39分42秒
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