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カテゴリ:夏目漱石
「肩がこる」という表現は、文豪・夏目漱石が最初に使ったといわれています。「肩が張る」という表現はそれまでに使われていますが、漱石の小説『門』のなかに「指で押してみると、首と肩の継ぎ目の少し背中へと寄った局部が、石のように凝っていた」という文章があり、「肩こり」という呼び名がこれで一般化したというのです。 それまでには、肩こりを表す言葉として「痃癖」「肩癖」(どちらも「けんぺき」)がありました。首から肩にかけての筋肉の引きつりをいい、肩こりや口内炎を示す「けんびき」という方言が残る地方もあります。 小説『門』には、歯科治療の場面も出てきます。主人公の宗助は歯の根がグラグラするので歯医者に寄ったのですが、その時にはもう痛みを感じなくなっていました。歯医者の診断によると、歯の中が腐っているが、あまり進行していないので、痛み止めをされました。歯医者は宗助の歯の根へ穴を開け、「糸ほどの筋」を引き出し、神経がこれだけ取れたと示しながら、粉薬をもらいます。宗助は、薬の使用に際する注意を受け、治療代の案外安いことに喜んだのでした。 その時向うの戸が開あいて、紙片を持った書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。 中へ這入はいると、そこは応接間よりは倍も広かった。光線がなるべく余計取れるように明るく拵らえた部屋の二側に、手術用の椅子を四台ほど据えて、白い胸掛をかけた受持の男が、一人ずつ別々に療治をしていた。宗助は一番奥の方にある一脚に案内されて、これへと云われるので、踏段のようなものの上へ乗って、椅子へ腰をおろした。書生が厚い縞入の前掛で丁寧に膝から下を包んでくれた。 こう穏かに寝かされた時、宗助は例の歯がさほど苦になるほど痛んでいないということを発見した。そればかりか、肩も背も、腰の周りも、心安く落ちついて、いかにも楽に調子が取れていることに気がついた。彼はただ仰向いて天井から下っている瓦斯管を眺めた。そうしてこの構えと設備では、帰りがけに思ったより高い療治代を取られるかも知れないと気遣かった。 ところへ顔の割に頭の薄くなり過ぎた肥った男が出て来て、大変丁寧に挨拶をしたので、宗助は少し椅子の上で狼狽てたように首を動かした。肥った男は一応容体を聞いて、口中を検査して、宗助の痛いという歯をちょっと揺って見たが、 「どうもこう弛みますと、とても元のように緊る訳には参りますまいと思いますが。何しろ中がエソになっておりますから」といった。 宗助はこの宣告を淋しい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなったが、少しきまりが悪いので、ただ、 「じゃ癒らないんですか」と念を押した。 肥った男は笑いながらこう云った。―― 「まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしまうんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきましょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております」 宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先を嗅いでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたといいながら、それを宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋めて、明日またいらっしゃいと注意を与えた。 椅子を下りるとき、身体からだが真直ぐになったので、視線の位置が天井からふと庭先に移ったら、そこにあった高さ五尺もあろうという大きな鉢栽の松が宗助の眼に這入った。その根方の所を、草鞋がけの植木屋が丁寧に薦(こも)で包んでいた。だんだん露が凝って霜になる時節なので、余裕のあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと気がついた。 帰りがけに玄関脇の薬局で、粉薬のまま含嗽剤(がんそうざい)を受取って、それを百倍の微温湯(びおんとう)に溶解して、一日十数回使用すべき注意を受けた時、宗助は会計の請求した治療代の案外廉なのを喜んだ。(門 5) 漱石の日記を見ると、明治42(1909)年6月3日、急に歯痛が起こり歯医者に行っています。6日に神経を取り、8日まで歯医者に毎日通っています。『門』の文章はこの経験を元に書かれたようです。 肩こりと歯痛は密接に関係しているため、歯が原因で肩こりになったり、逆に肩こりが原因で歯痛になることもあります。食べ物を片側のみで噛んでしまうと、肩こりになることもあります。悪いかみ合わせは、歯痛の原因になるのです。 もしかすると、漱石の肩こりの原因は、歯痛だったのかもしれません。
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最終更新日
2017.08.03 09:21:37
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