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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.01.14
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カテゴリ:夏目漱石
 高柳君は口数をきかぬ、人交りをせぬ、厭世家の皮肉屋といわれた男である。中野君は鷹揚な、円満な、趣味に富んだ秀才である。この両人が卒然と交りを訂してから、傍目にも不審と思われるくらい昵懇な間柄となった。運命は大島の表と秩父の裏とを縫い合せる。
……
 中野君は富裕な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵へあたって、椽側の硝子(ガラス)戸越に眺めたばかりである。友禅の模様はわかる、金屏の冴えも解せる、銀燭の耀きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗いことだろうと身に沁みてぞっとすることはあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横たわっている。歯を病んだことのないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳けつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさといわれる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。(野分2)
 
『野分』に登場する「大島紬と秩父の裏」は、裕福な家庭に生まれて何不自由なく育った中野君と、不幸な家庭環境で大きくなった高柳君との関係を表した言葉です。「大島紬」は、多くの人に知られる高級品ですが、「秩父の裏」とは、埼玉県の秩父で取れる無地の絹織物のことです。品質の良くない絹糸を使って作られる丈夫な絹織物で、和服や夜具などの裏地として用いられました。どちらも紬の風合いなのですが、高級品と質実貢献の織物の対比を、人物の表現として用いています。
 
 ただ、明治時代に入ると、無地や平易な縞模様だった秩父の絹織物は、仮り止めの緯糸をほぐして抜きながら織る『ほぐし捺染』という染めの技術により、大きな変革を遂げます。大胆なデザインを施したプリント柄を施された秩父の絹織物は「秩父銘仙」と呼ばれるようになり、丈夫で手軽に買えるおしゃれ着として、着られるようになりました。「銘仙」は太い絹糸で織った厚手の布地「太織(ふとり)」を改良したもので、フォーマルには向かないのですが、普段着としてよく着られました。
 

 
 漱石の作品には『草枕』『虞美人草』『三四郎』『それから』に登場します。
 
 二人の姿勢がかくのごとく美妙な調和を保っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
 背のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くっきり締しまった細面に、襟の長い、撫肩の、華奢姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着の銘仙さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反身に控えたる痩形。はげた茶の帽子に、藍縞の尻切出立と、陽炎さえ燃やすべき櫛目くしめの通った鬢の色に、黒繻子のひかる奥から、ちらりと見せた帯上の、なまめかしさ。すべてが好画題である。(草枕 12)
 
「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近君は貸浴衣の上に銘仙の丹前を重ねて、床柱の松の木を背負って、傲然と箕坐(あぐら)をかいたまま、外を覗きながら、甲野さんに話しかけた。(虞美人草 3)
 
 三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装をしているので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色は不断の通り好くなかったが、座敷の入口で、代助と顔を合せた時、眼も眉も口もぴたりと活動を中止したように固くなった。敷居に立っている間は、足も動けなくなったとしか受取れなかった。三千代はもとより手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜びと、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもって漲っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代にそれだけの打衝(ショック)を与える程に強烈であった。(それから 14)
 
 どの描写も、銘仙が日常のおしゃれでありながら、時々艶かしい印象を与えることを示しています。





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最終更新日  2020.01.14 19:00:06
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