2529043 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

aどいなか

aどいなか

カレンダー

バックナンバー

2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

ぷまたろう@ Re:子規と木曽路の花漬け(09/29) 風流仏に出でくる花漬は花を塩漬けにした…
aki@ Re:2023年1月1日から再開。(12/21) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
LuciaPoppファン@ Re:子規と門人の闇汁(12/04) はじめまして。 単なる誤記かと拝察します…
高田宏@ Re:漱石と大阪ホテルの草野丈吉(04/19) はじめまして。 大学で大阪のホテル史を研…
高田宏@ Re:漱石の生涯107:漱石家の書生の大食漢(12/19) 土井中様 初めまして。私は大学でホテル…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.01.06
XML
カテゴリ:夏目漱石
 幼い頃、泣き虫で知られていた子規は、大きくなってからもその癖は治らなかったようです。
 子規は漱石にも泣き言をいい続けました。
 明治33(1900)年2月12日、子規は夏目漱石に長い手紙を出しました。熊本から送られた見事な大きさの金柑に対する礼状にかこつけ、気心の知れた漱石には怒りや愚痴、恨み言や泣き言を書き連ねた手紙を、子規は送ったのです。
 今回の手紙は、「例の愚痴談だからひまな時に読んで呉れたまえ、人に見せては困る、二度読まれては困る」で始まります。このことで、本音に満ちた手紙であることが漱石はわかりました。
 漱石へのお礼は、届いた金柑への驚きでした。内藤鳴雪は、金柑をひねりまわして見て「これはどうしても金柑以外のものじゃない」、叔父の藤野漸は「これは金柑じゃない」、子規は「この金柑を寒いところに植えると小さくなるのであろう」といったら皆が「まさか」といったなど、周りの人々の反応を記しています。
 こうしたお礼が終わると、子規の不満が爆発しはじめます。
 忙しくてたまらない。原稿を書こうとすると客が来る。昼間は来客のために仕事ができないので、夕方から書こうとすると、夕方から熱が出る。時候が良ければ徹夜してでも書くのだが、寒さで書くことができない。浣腸と繃帯取替をして頑張ろうとするが、風邪をひいて咳が出てきた。だから原稿が書けない。今回の手紙は腹が立って立ってたまらんのでも腹の立ち処がないので貴兄への手紙にこうした文句のあれこれをしたためることになった。
 以下、こまごまとした近況報告が続くきますが、ようやく子規の本音が現れてきます。
 『日本』は売れない、だが『ホトトギス』は売れている。『日本』新聞社長の陸羯南氏は、子規に新聞掲載記事の題材や体裁について時々いうけれど、僕に記事を書けとはいわない。『ホトトギス』を妬むこともない。子規が『ホトトギス』のために忙しくなっていることは十分知っているため…………
 と、子規は涙を流します。
 子規は、「ホトトギス」の成功を喜びながらも、「日本」新聞の売上の悪さを心配しなければならないという立ち位置の微妙さを綴って、「何か分らんことにちょっと感じたと思うとすぐ涙が出る」と涙もろくなったことを嘆くのです。
 しかし、子規は「この愚痴を真面目にうけて返事などくれては困るよ」と強がります。癖になってしまった涙もろさに「君がこれを見て『フン』といってくれればそれで十分」なのだといいます。手紙は「金柑の御礼をいおうと思うてこんな事になった。決して人に見せてくれ玉うな。若もし他人に見られては困ると思うて書留にしたのだから」で終ります。
 子規は、漱石が送ってくれた金柑のほろ苦い甘さにつられ、自身の甘えを誰かに聞いてもらいたくなったのでしょう。しかし、その相手は、心を許した漱石にほぼ限られていたのでした。
 
 例の愚痴談だからひまな時に読んでくれたまへ。人に見せては困る、二度読まれては困る。
 御手紙はとくに拝見。金柑は五、六日前に相届候に付かたがたもって御礼かたがた御返書可差上存候いながら、それはそれはなさけなき身の上とても申すべき身の上、一通り御聞なされて下されたく候。病気激発の厄月は四、五、六月の際なれども勢力のもっとも少きは十二、一、二月に御座候。これはいうまでもなく寒気のために御座候。しかるに小生の職務上もっともいそがしきは十二月一月に御座候(コレハ『日本』がいそがしいのと地方の新聞雑誌などのたのまれ有之、『ホトトギス』は一番骨なれどもこれは毎号同じこと也。寒気と多忙のために十二月と一月始とに忙殺せられ候ところへ二月分の雑誌など書かざるべからずとくる。いざ書こうとすると客が来る。昼間は来客のために全く出来ず、これは毎日同じこと也。夕刻より熱が出る。時候がよければ熱いとて構うたことはない。徹夜してでも熱を押てでも書く。それがなさけないことにはこの頃の寒さではとても出来ぬ。現に只今もさしたる熱がないようだから原稿書こう、今夜は徹夜でもするぞと大奮発して先ず浣腸と繃帯取替とをする(このことが老妹の日々の大役だ)。平生ならば小生は浣腸後少し疲労するのみにて、むしろ安心するけれど体に申分あるとき、または痔疾に秘結とくると後ヘも先きへも行かぬことがある。陸の葬儀などのため四日目に今日は浣腸したけれど成績は中等であったが少し冷えて風引いたか咳が出てきた。折角の奮発の原稿はかけぬ。腹が立って立ってたまらんのでも腹の立ち処がないので貴兄ヘの手紙認めることに相成候。箇様な失敬な申条なれど情願御許被下たく候。
 御旅行の由。
 寅彦時々来る。
 俣野来て不平を漏らし候故、小生も立腹暴言を放ち候処、俣野曰く私が先生を困らしに来たように夏目先生に思われては面目がございません。
 金柑御送被下候由の御手紙に接し、何事かと少し怪み候処、大金柑に接し皆々驚き申候。鳴雪翁ひねりまわして見て曰く、どうしても金柑じゃ外のものじゃない。藤叔曰く、こりゃ金柑じゃない。小生曰く、この金柑を寒い処へ植ると小さくなるのであろう。皆々曰く、まさか。
 東京も大寒気の由(小生には分らず)インフルエンザ流行、十人の内五人以上はやられ候。小家も皆やり申候。小生も人並にやり健全な母さえ二日半就褥致候。小生記臆已来始めての大病に御座候。皆々軽症なれども小生はそれがためとはなくて毎夜発熱、時によると夜十二時頃より突然発熱夜明に至りて熱さむために徹夜致候など腹の立つことに候。翌日も昼間は来客ありて眠る事出来不申候。その日の夜はタ刻より発熱夜の十二時過熱さめ候故、夕飯を夜半にしたためて(ちょっと御馳走を御披露申上候。粥二椀、叔父より貰いたての豚のらかん三きれほど)これから『ホトトギス」の原稿(まだ一つも出来おらず)に取掛ろうと思うと眠くなったから「寝ろ寝ろ」ということに変って夜半過より寝て今朝は昼飯まで睡眠、非常に愉快になり候。しかしタ方まで来客絶えずタ飯すみて浣腸、繃帯替(この二つが同時に行わねばならぬこと故下痢症に掛ったときは何とも致方なく非常の困難を窮め候。この時は浣腸は不用なれど「さぁ糞がしたい」というてから尻の繃帯を取りはずし、お尻を据得るまでに早くて五分、遅て十五分を要し候。その五分乃至十五分間糞をこらえる苦は昨年始めて経験致侯。屎をする際に時々貴兄が兄上の糞をとられたという話を思い出し候)。この浣腸繃帯替すみ、いざ原稿という処で咳、そこでこの手紙と、こういう都合で、この後で原稿が出来るか出来ぬかが問題なり。
 小生の欲望というと二月の月一ヶ月だけは何もせずに(気が向いたら俳句分類位はする)休みたくてたまらんのだ。しかしそんなことを高浜などにいいたまうな、まじめに心配する男だから。
『日本』は売れぬ、『ホトトギス』は売れる。陸氏は僕に新聞のことを時々いう(これはただ材料や体裁などのこと)けれども僕に書けとはいわぬ、『ホトトギス』を妬無というようなことは少しもない、僕が『ホトトギス』のために忙しいということは十分知っている故……………………(コノ間落涙)。
 僕に『日本』へ書けとはいわぬ、そうしていつでも『ホトトギス』の繁昌する方法などをいう。それで正直いうと『日本』は今売高一万以下なのだからね(売高のことは人にいうてくれたまうな)僕からいえば『日本』は本妻で『ホトトギス』は権妻というわけであるのに、とかく権妻の方へ善く通うという次第だから『日本』へ対して面目がない。それで陸氏の言を思い出すと、いつも涙が出るのだ。徳の上からいうてこのような人は余り類がないと思う。(その陸が六人目に得た長男を失うて今日が葬式出会ったのだ、天公、是か非かなんていう処だね)
 それで陸の旧案を今取りて今年は和歌の募集などというて少しばかり骨を折った。それでも骨折の度はとても『ホトトギス』には及ばぬ。僕が歌論を書いたからとて新聞は一枚もふえるわけはない(田舎には歌の新派というものはまだ少しもないから)けれどもこんなことをしていると新聞に多少の景気がつくのだ。あたかも吉原のひやかし連が実際の景気に関係するように。
『日本』へ少し書く。歌の方を少し研究すると歌にのり気が出来て俳句の方へ少し疎遠になる(貴兄の謡と俳句と両方ヘはといったような処でもあろう)。二月分ノ『ホトトギス』の原稿はまだ一枚も出来んのだ。察してくれたまえ、僕がこの無気力でこの後一週間位の間に『ホトトギス』を書いてしまわねばならぬと思うて前途を望んだ時の僕の胸中を。
 高浜も寝入るそうだからとてもまだ原稿は出来まい。ついでにいうがこの前の『ホトトギス』は二千四百位売れたそうだ。
 僕は「落涙」ということを書いたのを君は怪しむであろーがそれはねこういうわけだ。君と二人で須田へ往って僕も目を見てもろうたことがある。その時須田に「どんな病気か」と聞いたら須田は「涙の穴の塞がったのだ」というた。その時は何とも思わなかったが今思い出すとよほど面白い病気だ。その頃はそれがためでもあるまいが僕はあまり泣いたことはない。もちろん喀血後のことだが、一度、少し悲しいことがあったから「僕は昨日泣いた」と君に話すと、君は「鬼の目に涙だ」といって笑った。それが神戸病院に這入って後は時々くようになったが、近来の泣きようは実にはげしくなった。何も泣くほどのことがあって泣くのではない。何か分らんことにちょっと感じたと思うとすぐに涙が出る。僕が旅行中に病気する、それを知らぬ人が介抱してくれるということを妄想する、それがもー有難くてはや涙が出る。不折が素寒貧から稼いで立派な家を建てたと思うと感に堪えて涙が出る。僕が生きている間は『ホトトギス』を倒さぬと誓ったことがあると思うともー涙が出る。……………………(落涙)。日本新聞社で恩になり久松家で恩になったと思うても涙、叔父に受けた恩などを思えば無論涙、僕が死んで後に母が今日のような我儘が出来ないだろうと思うと涙、妹が癇癪持の冷淡なやつであるから僕の死後人にいやがられるだろうと思うと涙、死後の家族のことを思うて涙が出るなぞははずかしくもないが、僕のはそんなもっともな時にばかり出るのではない。家族のことなどはかえって思い出しても涙のないことが多い。それよりも今年の夏、君が上京して、僕の内へ来て顔を合せたら、などと考えたときに涙が出る。けれど僕が最早再び君に逢割れぬなどと思うているのではない。しかしながら君心配などするには及ばんよ。君と実際顔を合せたからとて僕は無論泣く気遣いはない。空想で考えた時になかなか泣くのだ。昼は泣かぬ。夜も仕事をしている間は泣かぬ。夜ひとりで、少し体が弱っているときに、仕事しないで考えてると種々の妄想が起って自分で小説的の趣向など作って泣いている。それだからちょっと涙ぐんだばかりですぐやむ。やむともー馬鹿げて感ぜられる。狐つきの狐がのいたようだ。それでもこんなことを高浜に話すとすぐに同情を表して実際よりも余計に感じる、そうすると『ホトトギス」が益々遅延するかも知れぬから言わずに置く。僕の愚痴を聞くだけまじめに聞て後で善い加減に笑ってくれるのは君であろうと思って君に向っていうのだから貧乏鬮引いたと思って笑ってくれたまえ。僕だって涙がなくなって考えると実におかしいよ。……………………しかし君、この愚痴を真面目にうけて返事などくれては困流よ。それはね妙なもので、嘘から出た誠、というのは実際、しばしば感じることだが、女郎でもはじめはいい加減に表面にお世辞いっていた男についほれるようなもので、僕の空涙でも繰り返していると終に真物に近付いてくるかも知レぬから。実際君と向合うたとき君がストーヴこしらえてやろかというたとて僕は「ウン」といっている位のもので泣きもせぬ。けれど手紙でそーいうことをいわれると少し涙ぐむね。それも手紙を見てすぐ涙も何も出ようともせぬ。ただ夜ひとり寝ているときにふとそれを考え出すと泣くことがある。自分の体が弱っているときに泣くのだから老人が南無あみだあみだといって独り泣いているようなものだから、返事などは起こしてくれたもうな。君がこれを見て「フン」といってくれればそれで十分だ。
 僕ガが愚痴っぽくなったのは去年の手紙中『ホトトギス』の文などで大方察してはいたろーがこれほどとは思話なかったろー、これほど僕を愚痴にしたのは病気だよ。もっとも僕は筆をとると物を仰山に書く方だから、喀血以前でも「病身である」だの「先ず無事でいる」だのと書いて菊池に笑われたことがある。この手紙などを見せたら菊池は腹の中で笑うであろう。それは笑われても仕方がない。僕もめめしいことでいいたくないのだ。けれどいわないでいるといつまでも不平が去らぬ。こう仰山にいってしまうとあとは忘れたようになって心が平かになる。…………これだけ書くと僕も夢のさめたようになったからもはややめる。そうなると君が馬鹿な目を見たと腹立てはしないかと思うようになってくる。ゆるしてくれたまえ。
 新らしい愚痴が出来たらまたこぼすかも知れないが、これだけいうて非常にさっぱりしたから、君に対して書面上に愚痴をこぼすのはもうこれ限りとしたいと思うている。金柑の御礼をいおうと思うてこんなことになった。決して人に見せてくれたまうな。もし他人に見られては困ると思うて書留にしたのだから。
   明治三十三年二月十二日夜半過書す。
 僕自らも二度と読み返すのはやだから読んで見ぬ、変な処が多いだろー。(明治33年2月12日 漱石宛書簡)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.01.06 19:00:06
コメント(0) | コメントを書く
[夏目漱石] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.