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カテゴリ:夏目漱石
漱石は、油絵をやめて南画に傾倒していきます。 そのころのことを津田青楓が『漱石と十弟子』「へんちくりんな画」に記しています。 津田が自分の仕事の段落のついたある日行ってみると、先生は独りでかかれた二、三枚の油絵を出し、抛げるような口吻で「駄目だよ、油絵なんて七面倒臭いもの。俺は日本画の方が面白いよ」そういって、半紙ぐらいの厚ぽったい紙に塗りたくった妙な画を出して見せられた。 南画とも水彩画ともつかない画だ。柳の並木の下に白い鬚を生やした爺さんが、柳の幹にもたれて休息している。そのまえに一匹の馬がいる。先ず馬と仮説するだけなんだが、四ッ足動物で豚でもなければ山羊でもなく、先ず馬に近いーーその馬が前脚を一つ折って、これから草の上に休もうとするようにも、またこれから立ちあがろうとするようにも見える。馬といい、人といい、まるで小学校の生徒の画のようだ。柳は無風状態で重々しくたれ下っている。全体が濁った緑でぬりつぶされている。柳の下にはフンドシを干したように一条の川が流れている。その川と柳の幹だけが白くひかって、あとは濁った緑。下手な子供くさい画といっても片付けられる。また鈍重な中に、不可思議な空気が発散する詩人の夢の表現と、いってもみられる。先生はリアルよりもアイデアルを表現したのだ。「盾のまぼろし(=幻影の盾)」「夢十夜」あんな作を絵築で出そうとしていられる。 漱石先生が「どうだ、見てくれ」といって出された二、三の日本画は、まことにへんちくりんなもので、津田は拶挨の代りに大きな口をあいて、 「わはははははは」 先ず笑った。 先生も自分で、クスクスと笑われた。 その一枚は古ぽけた麦邸帽子をかぶった老人ーー頤に白い髯を一尺ばかり生やしてーー支那服ともアッパッパともいえない妙ちくりんなものを着て、樹下石上に脆座している聖人とも思える。養老院に収容されている爺々が、ひもじくって、もうこれからさきは歩けぬといって、石上に吐息をついているところのようにも思われる。 次には真黒な猫が眼だけ白くぎょろつかせて、木賊の中に変なかっこうをしてうづくまっている。眼があるから猫というんだが、青木ヶ原あたりにゴロゴロしている熔岩の塊だといってもいい。 次は柿の木に鴉が二羽休息している。柿が熟れて赤くトマト色をしたのが二つ三つ、バックは一面の竹藪。 どうもこれも鴉にしても拙なるもので、挨拶のしようがなかった。 津田はどういうものかその時、石涛の披璃版で見た長髯の老人が頭の中をかすめた。この老人は眼の立ち上る巌石とも山とも制定し難いなかに、一本の杖をついて立っている。裳裾がぽやけているので、立ちこめる靄の精のようにも見える。この人物も雅にして拙といっても差しつかえない。あるいは意ありて筆至らずともいえる。 「石涛にもこんな老人がありましたね。」 といいかけて見たが、先生はなにも答えなかった。 石涍はまだ知られていなかったかも知れない。 すべてが薄ぎたなく、法も秩序もなく、滅多やたらに塗りまくってある。画家が仕事をしたあとの筆洗をぶちまけたような、分析の出来ない色が入り乱れている。 津田はそこで妙なことを考え当てた。画家の頭にしまいこまれている自然界の形象は、決して写真のような正確さではしまいこまれていない。馬の脚が四本あることは知っている。しかし四本の脚で馬があるく時は、四本がどんな順序で歩くかは、紙を展べて筆を持ってみたとき、意識の表面に浮かび上ってくる。牛や馬の眼が顔の線に沿っているのか、それとも顔の線と直角に位置しているかは、明確な答案を紙の上に現わすことができない。子供のかく人物は胴体から二本手が生え、同じく胴体から二本の足が生えている。子供の頭のなかはその通りに映像されているかも知れないが、大人にしても変りはない。大人は知識によって肩胛骨が脊髄につながっていることを知っているだけなのだ。大人は狡いから、いつのまにか惑鎚を知識にすりかえている。 だから大人のかく画は正確であればあるほど生きてこないし、子供の画はウソをかいていながら生きている。 漱石先生は、子供の態度でこの画をやられたというよりも、先生には子供らしい正直さが画に現われるのだ。 この画を見るものは一応大口を開いて笑って見せるが、笑いの中に真剣になり得る問題があった。 「先生は僕の画をヂヂムサイ、ヂヂムサイといわれますが、先生の画だって随分汚ならしいですよ。第一こう塗りたくっちゃ色が濁って、何がなんだかわからないじゃありませんか」 「うん、気に入らないから、無暗と塗りたくるんでーー下塗の絵の具がまざってくるんだよ」 「この紙は土砂が引いてあるんでしょう」 「なんだか知らないが、こんなのがあったから使ったんだ」 「裏打をした陶砂引なんて、いけませんよ。晩翠軒で本式の紙を買ってきてーー水彩画のお化けでない南画をやってご覧になってはどうです」(漱石と十弟子 へんちくりんな画) 青楓が記している画は、「樹下石上に脆座している聖人」は大正2年の夏に描かれた「樹下釣魚図」、大正3年7月の「、木賊の中に変なかっこうをしてうづくまっている。眼があるから猫」というのが「あかざと黒猫」、「柿の木に鴉が二羽休息している」というのは、現在残されていないようです。
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最終更新日
2022.07.27 19:00:09
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